2023年9月3日・・・みことばを行う人になりなさい
みことばを行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけません。
ヤコブ1:22(22-27)
上記のみことばは、この書全体の中心の教えです。みことばを聞くだけでなく、それを行なうことが大切であることを知って実行をめざしましょう。
《みことばを行なう人になれと主は命じています(:22)》
ヤコブがこの手紙を書き送らなければならなかったのは、聞いて信じた、と言いながら、神さまのことばを実行しない人たちが多くなってきたためでした。その人たちは「恵みによる救い」を間違って受け取っていました。パウロも「恵みの下にあるのだから、罪を犯そう、となるのでしょうか。決してそんなことはありません」と訴えています(ローマ6:15-16)。聞くだけで行わないことは「自分を欺くこと」です。「欺く」とは、間違っていることを伝えて、間違った知識や信仰、行動を取らせることです。他の人を欺くならその人を誤らせ、自分を欺くならば、自分を誤らせます。神のことばは信仰によって救われ、神に喜ばれる生き方に歩ませることを約束し命じています。それなのに救われたからと言ってみことばの命令を無視して良いと考えて歩むなら、救って下さった主を裏切って良いと自分に思い込ませる事になります。それは就職したのに働こうとしない事と同じです。
《聞いたことを行なってこそ救いの祝福を受けます(23-24)》
みことばを聞いても行わない人は、自分の生まれつきの顔を鏡で眺める人のようだとヤコブは告げます。自分の顔を見つめても人として成長しません。私たちが(一心に)見つめるべきなのはイエス・キリストであり(ヘブル12:2)、キリストを見つめキリストに従う中でキリストに似た者へと変えられてゆくのです(2コリント3:18)。キリストの福音はキリストご自身であり、それは「自由をもたらす完全な律法」です。旧約の律法は、神が求めておられる生き方の初歩を教えますが、実行させる力がありません。自分の努力で神の義を受けられないことを認めて、キリストを信じる信仰に備えさせる「養育係」です。しかし完全な律法であるキリストは自由を与えます。罪から解放し、自ら神のみこころを行なうように造り変えます。主を信じ、主に喜ばれるように生きようという人を、神さまが祝福しないはずがありません(コロサイ1:9-10)。
《愛を行い自分をきよくする信仰生活こそ生きた信仰の証しです(26-27)》
熱心に宗教活動(集会出席、奉仕、学びや交わり)を行っても、主に喜ばれる信仰生活とは限りません(マタイ7:21-27)。「舌を制御せず」、つまり良く聞かず、思いのままに語り、簡単に怒ってしまう状態では神と人に喜ばれません。それに対して「きよく汚れのない宗教」(神と一致し喜ばれる信仰生活)は、愛を行ない、聖く歩みます。主は私たちが、実を結ぶように救ってくださいました(ヨハネ15:16)。「私には無理です」とがっかりする必要はありません。主を信じて行おうとすれば、主が実行させてくだるからです。主は「あなたが信じたとおりになるように」「あなたの信仰があなたを救ったのです」と告げてくださいました。