2023年9月17日・・・神の規準である自由の律法
自由をもたらす律法によってさばかれることになる者として、ふさわしく語り、ふさわしく行いなさい。ヤコブ2:12(8-13)
今日・・・の箇所は「自由の律法を守りなさい」と戒めています。重荷を与えて放置する旧約の律法ではなく、キリストを信じることを通して与えられ、私たちを罪から自由にする恵みの律法です。
《第一に、えこひいきは最高の戒め(隣人愛の命令)を破ることです(8-9)》
「隣人を自分自身のように愛せ」(レビ19:18)はモーセの律法の最も大切な戒めです(ガラ5:14)。この戒めを人は守れませんでした。しかし主キリストは、この同じ戒めをご自身の救いと共に、守れる戒めとして与えられました(ヨハネ13:34)。キリストを信じて救われた者は、十字架の身代りにより審かれないだけでなく、キリストの愛に満たされて、愛を行うことができるよう新しく造られました(1ヨハ2:7-8)。ヤコブがここで告げていることはヨハネも第一の手紙で告げています(1ヨハネ2:9-10)。闇の中に歩んでいると気付いても自分では抜けられません。しかしキリストを呼び求めれば、私たちを自身の光の中に入れ、光の中を歩ませてくださいます。
《第二に、旧約の律法においては一点でも犯すなら責任を問われます(10-11)》
モーセの律法においては、一点でも誤ちを犯せば、他の全部を守っても違反者と定められます。責任ある務めでは一度の誤ちでも免職にされるようにです。記者は、姦淫や殺人を例に挙げますが、主イエス様は聖い神がどう見て審かれるかを教えました。「情欲を抱いて女を見」「兄弟に対して怒る」ならば、神の審きの前に有罪宣告されます(マタイ5:28,22)。同様に、えこひいきは、隣人愛の戒めを違反したことになると記者は告げます。私たちはどうしたら神の前に平安を持てるでしょうか。
《第三に、自由の律法はキリストの贖いにより罪から解放します(12-13)》
「自由の律法」とは、キリストが旧約の律法を成就した上で与えた最終的な律法です。言い換えれば「キリストの救いの福音」です。神は一切のさばきをキリストに委ねました。すべての人は罪を犯して神の義を得ることはできません。しかしキリストはすべての人の罪のために身代りに死なれました。ですから、キリストにある者はすべての罪を赦されています(ローマ8:1)。すべての人は神の正しい規準を満たせません。しかしキリストは罪と死に勝利したいのちを私たちに与えて、罪と死に勝利する者として新しく生まれさせました。だからキリストにある者は罪の内を歩みません(1ヨハネ3:9)。だからあなたがたは、救いの恵みの内に歩むように、と記者は命じました。せっかく与えられた神の救いを無駄にしてしまう恵みのない生き方をしていたら、救いの祝福を損ねてしまいます。主はそうならないように「赦さなかったしもべの譬え」を教えました(マタイ18:32-33)。負い切れない重荷を自分で負おうとしてはなりません。主と共に負って歩みましょう(マタイ11:28)。