2023年10月1日・・・行いにより完成する信仰
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行いがないなら、何の役に立つでしょうか。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。ヤコブ2:14(14-26)
上記の通りヤコブは、行いの伴わない信仰は「役立たない、当人を救えない」死んだ信仰だと告げます。行ないのない信仰は、衣食に困っている人に必要なものを与えません、主を恐れ告白するだけなら悪霊でもしています。彼は、主に信頼して告げられた通りイサクを献げたアブラハムの信仰、イスラエルの偵察隊を匿まって逃がしたラハブの信仰を挙げ、彼らの信仰は行いと共に働いたと告げます。両者を分けるものを知り、生きた信仰をいただく道を知りましょう。
《この教えは律法主義の教えではありません》
行いなしに信仰のみによって義とされることは、既に確認されていました。エルサレム会議において、パウロ、ペテロ、ヤコブは、行いによる義でなく、信仰による救いである点について、一致していることを確認しています(使徒15:7-25,ガラテヤ2:16,エペソ2:8)。その上で、信仰があると言っても、その人に行いがないなら」、役立たない信仰、当人を救えない信仰、死んだ信仰だ、と告げたのです。
《生きた信仰は、心で信じ口で告白します》
悪霊のように、口で事実を認めても、心で信じない信仰は救いをもたらしません。しかし、キリストの十字架と復活を自分の罪のためだと、心で信じ、口で告白する者を、主は救ってくださいます(ローマ10:9-10)。自分の罪と福音の救いを理解した上で信じ告白したのなら、その人は救われています(1コリント15:2)。そして、信仰による救いによって、みこころにかなった行いをできるように変えられました。神の国を見ることができることは、救われ「新しく生まれ」て初めて可能になります。キリストの内にある者は新しく造られています(2コリント5:17)。そして神から生まれた者は、罪を犯さず神の命令を守ります(1ヨハネ3:8-10)。
《生きた信仰は、試練に耐え抜いて実を結ぶ信仰です》
試練に耐え抜く忍耐がなければ実を結びませんが、信じた人は心配する必要はありません。新しく生まれた者に与えられる一つ一つの賜物が、救いを受けた証拠として現われ、私たちに確信を与え、成長させるのです。神の羊とされた聖徒は、羊飼いである主のもとに行きます(ヨハネ6:37,45)。また羊飼いであるキリストの声を聞き分けて従います(ヨハネ10:3-5)。聖徒は、聖霊を通して注がれた神の愛によって試練を乗り越えて成長するのです。このように聖霊は私たちを守り、種蒔きの譬え(マタイ13:23)にあるように、一つ一つの良い実を結ばせるのです(ガラテヤ5:22-23)。ですからヤコブは、主キリストが教えられたように、試練の時に喜べと勧めています。神の愛に満たされて、すべての試練が益をもたらすからです(1:2-4)。パウロは、恵みによって救われた事と、その恵みによって多く働けたことを証しました。しかし彼は自分の働きや成果を誇りません。これらの良い行いも、神が下さった恵みであると自覚していたからです(1コリント15:1)。救いの確信、そして主への信頼と従順において成長を求めましょう。