2023年10月8日・・・誰も制せない舌をどうしたら
私たちはみな、多くの点で過ちを犯すからです。もし、ことばで過ちを犯さない人がいたら、その人はからだ全体も制御できる完全な人です。ヤコブ3:2(1-8)3章から記者は、舌を制御することを取り上げています。そしてこの箇所では、まず舌を制御することの重要性を訴えます。
《第一に、私たちはみな、特にことばで過ちを犯してしまいます(1-2)》
「義人ヤコブ」と評される記者は、教師は厳しいものを要求されるので、なりたいからなれるものでない、「私たちはみな、多くの点で過ちを犯すから」と告げます。ことばで過ちを犯さない人がいれば完全な人ですが、それは主キリストだけだと、生まれた時から主と共に育った彼は自覚していたでしょう。恐らく父ヨセフは先に亡くなっていたようです。そして母親のマリアを除いて、敬虔に育った家族は、イエス様を救い主と信じられませんでした。主の家族が信じたのは十字架と復活の後でした。私たちの民族も、困難の時に「困った時の神頼み」をしますが、自分の願った通りにならないと、神に不平をぶつけるのは、出エジプト時代のイスラエルと同じです(申命記8:2)。《第二に、舌は小さくても全体に影響を与え、汚れを止められません(3-8)》
舌は小さな器官ですが、それが人の全体を左右することを、記者は類比で説明します。(1)家畜の「くつわ」により、御者や騎手は、手綱を引くことで馬を思い通りに動かすことができます。(2)船の舵により、大きな船も操作でき、強風の時にも船を目的地に運ぶことができます。(3)小さな火が火事となって森を焼き尽くすように、私たちが過信して不用意なことばを発する事から、取り返しのつかない問題が起こります。舌は火であり不義の世界です。舌は私たちの諸器官の中にあってからだ全体を汚し、人生の車輪を燃やして、ゲヘナの火によって焼かれます。《第三に、誰も制せない舌を制御するため、主の支配に委ねましょう》
舌の問題は、私たち全体の問題です。しかし、主のもとに行き信じた者は、最後まで守られます。救いは、ただ恵みによって与えられ、神の守りによって完成します(ローマ8:29-30)。神(=聖霊)は私たちの協力者として私たちを応援してくださいます。そして主のために労する私たちを喜び、終りの時に報いを与えてくださいます(2コリント5:10,2ヨハネ1:8)。ヤコブも自分が、兄姉と同じように過ちを犯す者であることを告白しました。パウロもそうです。彼は主の恵みを知る程に、自分の内に巣喰う罪に嘆きました。しかし、主がやがてそれらの罪も聖めてくださることを感謝しつつ励んでいると証ししています(ローマ7:24-25,ピリピ3:14)。主を信じる聖徒には、主が自分を調べ、きよめてくださる恵みと守りがあります(詩篇139:24,141:3)。
天国は今私たちの内にあり、完成しようとしています。今から主をめざし、主に造り変えていただきましょう。それが行いを伴う生きた信仰によみがえる道、それが「霊的刷新」(=リバイバル)です。これを求めましょう。