2023年11月5日・・・イエスのことばの権威と力
人々は、その教えに驚いた。そのことばに権威があったからである。
ルカ4:32(31-44)
渡邊徹
今日・・・はこの箇所を通してイエス様が、ご自身の権威について、本当に伝えたかったことは何かを考えてみたい。
《キリストの権威あることば(31-37)》
イエスは再びカペナウムへ行き、安息日・・・ごとに教えられる。イエスご自身が証しされているように、イエスは律法を「廃棄するためではなく、成就するために来た」(マタイ5:17)のである。人々はイエスを通して二つの驚きを体験する。第一はその権威ある教えである(ルカ4:32)。律法学者らは常に過去の教師を後ろ盾にして自分の解釈の正当性にこだわった。それに対してイエスは、独自の権威を持っていた。第二の驚きは、その実際的な権威であった。それはただの博学の権威ではなく、汚れた霊すらも怯えて退けられるものであった(35-36)。律法学者らは昔からの知識、律法を尊守するという点では優れていたかもしれないが、このような実際的な権威を行使することはできなかった。そのためイエスの言動は人々の目に新鮮な驚きをもって受け入れられ、いよいよそのうわさは至るところに広まっていった(同37)。
《キリストの権威を証明する癒やしのわざ(38-39)》
イエスがシモン(ペテロ)の家に行くと彼の姑がひどい熱に苦しんでいた。興味深いことはイエスが、「熱をしかりつけられた」との記述である。後日・・・、嵐のガリラヤ湖で風を叱りつけられたイエスであるが(マルコ4:39)、あたかも熱や風にも人格があるかのように、叱りつけておられる。そして、イエスの強い権威の前に服従するように熱は下がり、風は止むのである。このイエスの権威の源泉が神にあること、その根幹が天地万物の創造者である方の力によっていることがわかる。
《キリストの権威は福音(救い)を伝えるための権威(40-44)》
夕暮れになると、病気で弱っている者たちがイエスのもとに連れて来られた。この時イエスは一人一人に手を置いて癒された(40)。悪霊に対しては強い権威をもって退けるイエスであるが、病人に対しては優しい愛の御手をもって癒されている。群衆はイエスを捜し当て、ずっとここにいてほしいと願うがイエスは、「ほかの町々にも、どうしても神の国の福音を宣べ伝えなければなりません」と語る。イエスはご自分の使命を理解し、また限られた時の中で、今なすべきことを把握しておられた。群衆のもとに残れば、イエスは奇跡を行う者として、多くの人々からあがめられたことであろう。しかし、イエスはご自身の権威と力を、人から名誉を受けるためではなく、ご自分の使命である福音を伝えるために用いられた。その使命に従って、イエスは一つの場所にとどまらず、ユダヤのあらゆる会堂で福音を伝え続けられたのである。神様はそのひとり子イエス・キリストを十字架にかけ、私たちの代わりに罪を贖わせて下さった。罪を赦す権威を持っている方は、イエス・キリストのみである。私たちも、今日・・・その福音を受け入れよう(ローマ10:8-13)。