2023年11月12日・・・上からの知恵に相応しい柔和を
あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。
ヤコブ3:13(13-18)
前回の箇所(9-12節)では、賛美と呪いが同じ口から出てしまう現実を指摘し、諌めることばを見てきました。その続きである今朝の箇所で記者ヤコブは、きよいことばを語るだけでなく、きよい生き方で考え行動するよう勧めています。
《知恵と分別を主から受け、柔和な行いを立派な生き方によって示しなさい(:13)》
「知恵があり、分別のある人」かと問われたら、「私はとても」と答えてしまうでしょう。しかし、キリストを信じて受けた人は、キリストの知恵と分別を受けています(1コリ1:30)。だから、キリストの知恵を受けた者にふさわしい、柔和な行いを立派な生き方により示すよう聖書は命じています。柔和な行い......高ぶらない謙遜、物事に振り回されず落ち着いて、相手の立場を考えて行動することです。それが立派な生き方、神と人に認められ誉められ模範とされる日・・・々の言動、それがキリストに従い、キリストに似てゆく生き方です。このように生きられたならば、教会は愛と平安と喜びに満ちてゆきます。
《現実は、それとかけはなれた状態にあることを認める必要があります(14-16)》
これまでの部分で、キリストを信じた者の本来あるべき状態を伝えてきました。しかし聖書は心の中に何があるかを点検させます。「苦々しいねたみ」、思い通りにならない時に、いけないと判っていても耐えがたい怒りが止められない状態です。「利己的な思い」、ねたみが生じるのは、心の根っこにある、自分を一番にする思いが支配しているからです。ねたみや自己中心から出た考えや行いなのに、それを強い事良い事として誇るのは、自分を偽って、恥ずべき愚かさを吹聴してしまっていることです。悔い改めなければ、やがて悪い実を刈り取ることになってしまいます。実際、教会内に混乱やねたみや差別、一致の乱れが起こっていました。助け合いがなく、霊的鈍感さ(1:22-24)、地位での差別(2:4,16)、制御できないことばの災い(3:9)があったのです。
《しかし神からの知恵はきよく、平和の実を結んでゆきます(17-18)》
しかし、この惨状に勝利する道を主は下さいました。上から(=神から)の知恵です。世の知恵は肉的で悪魔的であり、キリストに敵対して滅びに至る、愚かな知恵です(1コリント3:19)。しかし、上からの知恵はキリストの知恵であり「清い」ものです。また「平和で、優しく、協調性があり、あわれみと良い実に満ち、偏見がなく、偽善もありません」。その種は福音の種です。単純な十字架と復活の福音が、世界を変え続けています(ローマ1:15-17)。福音は、人を平和をつくる人に変え、その人は愛と平和の内に福音を蒔き、文化や国境を越えて、世界の隅々に広がっています。上からの知恵に満たされた平和の人に、私たちもなれます。神さまが造り変えてくださるからですそのために必要なのは、イエス・キリストを信じ、このお方を信じ、このお方に自分を献げることだけです(ローマ6:11-14)。