2023年11月19日・・・争いの原因は世の欲望
あなたがたの間の戦いや争いは、どこから出て来るのでしょうか。ここから、すなわち、あなたがたのからだの中で戦う欲望から出て来るのではありませんか。ヤコブ4:1(1-6)
私たちに争いが起こる原因は何であり、どうしたら解決できるでしょうか。この箇所を通して共に確かめましょう。
《戦いや争いは、からだの中で戦う欲望から生じます(1)》
前章3:13-15で指摘していた「苦々しいねたみ」や「利己的な思い」があると、秩序の乱れや邪悪な行いが生じます。「からだの中で戦う欲望」が、それらを生じさせている根本原因です。生まれつきの肉の性質は、罪に支配されて正しいバランスと方向を失なっています。欲し願うことは、生きるために必要なものです。意欲や食欲、また関わりを求める願いがなくなったら人は健康に生きられません。それらの欲が、神を中心に働き神に導かれるならば健全に働きます。しかし罪によって欲が神でなく自分を中心に働くようになり、方向やバランスが崩れ、自分や相手を傷付けるようになっています。クリスチャンの中ででも、調和を破壊しようと肉が戦いを挑んでいます(ローマ7:22-23)。《欲望で求めても得られず、得ないと人を損ねてしまいます(2-3)》
記者は、欲望から争いが生じる過程を解き明かします。欲しいものが得られないと、「人殺し」(相手の歩みを否定し、排除し、邪魔する)をしてしまうのです(マタイ5:21-22)。欲しいものを得るのに邪魔だと思う人を排除し、自分が持たないものを他の人が持っていたら、その人を攻撃して奪おうとします。本来ならば、神に求め、与えられるにふさわしい者とされ、ふさわしい時にいただけば良いのにです。神はもっと良いものを与えようとして、それを止めておられるのにです。快楽のために使おうと悪い動機で求めるものを、得ることや楽しむことを、神は許しません。その人のためにならないからです。しかし、良い動機で(神の栄光、人々の幸せのために)求めるならば、神は相応しい時に速やかに与えてくださいます。《大切なのは主を愛し主を第一にすることです(4-5)》
記者ヤコブは「節操のない者たち」と訴えます。「節操」とは相手の信頼に応え、裏切らないことです。イスラエルも旧約時代からこの過ちを繰り返してきた神の民でした。主イエス様は、神と富の両方に仕えることはできないと教えました(マタイ6:24)。神を認めないこの世に慕われることを求めるなら、神を敵としてしまいます(4,1ヨハネ2:15)。世を愛する事は、きよさを与えようとする聖霊をふみにじることになるのです。神との愛と信頼の結びつきを大切に、神の平安と祝福の内に歩むならば、平和の神が、私たちに平和を与え、平和を築かせてくださいます。そして、平和の神が、争いを持ち込もうとするサタンと肉の働きに勝利させてくださるのです(ローマ15:33,16:20)。私たちが、自己中心の罪に支配されて、間違ったものを求めてしまう状態にあることを認めましょう。主がそれを解決してくださいます(マタイ11:28)。