2023年11月26日・・・主を信じて立ち向かえば悪魔は逃げ去る
神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」ですから、神に従い、悪魔に対抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。ヤコブ4:6−7(5-10)
人間関係での戦いや争いの原因は、からだの中で戦いを挑む欲望です。自分の内にあって自分の損ねてしまうこの欲望に、どうすれば勝利できるでしょう。聖書が伝える解決と勝利の道を共に確かめましょう。
《救いの恵みを伝える聖霊が信じる者に与えられています(5-6)》
キリストはもうひとりの助け主である聖霊なる神を送ってくださいました(ヨハネ14:16)。聖霊は、聖書と共に働いて、罪を示しキリストを信じるように助け導き、キリストを信じる者の内に住んで、キリストの一切の祝福に導きます(同14-15)。聖霊は救いの保証であり天国の祝福の先渡しです(エペソ1:13-14)。御子キリストは、救いの道を私たちに開くためにいのちを犠牲にされました。聖霊はこの救いを各自にもたらし完成するために自身を与え、私たちが栄光と賞賛を受けるために自身を献げてくれます。どんなに罪が大きくとも、恵みはさらに優っています。「罪の増し加わるところに、恵みも満ちあふれました」(ローマ5:20)。しかし、私たちがこの方に信頼し、へりくだって助けや導きを求める時に、喜んで全能の力をもって協力してくださいます。《神に従い、きよめていただきましょう(7-8)》
私たちが悪魔に対抗する時、主が悪魔をしりぞけてくださいます。御子キリストは悪魔に勝利しました。私たちがなすことは、キリストを呼び、頼るだけです。キリストは悪魔の誘惑に勝利し、悪霊を追い出し、悪魔がどんなに私たちを断罪しても、十字架の贖いによってとりなし、義を宣言されます。神が「危害を加えるな、この人から離れよ」と告げる時、悪魔はしりぞくしかありません。益に導くため、悪魔が人を攻撃するのを神が許す時もあります。ヨブやパウロもそのために苦難に遭いましたが、確かに神は益に変えられました。私たちもです。神に近付くには、心を主に向けて呼び求めるだけ、手や働きをきよめるには手やからだを主に委ねるだけ、二心の心がきよまるためには、心を主に向けて開いて委ねればよいのです。《神の前でへりくだり、神に引き上げていただきましょう(9-10)》
神に近付くために必要なのは、悔い改めと信仰です。悔い改めは方向転換、神から離れる方向から神に向かう方向に向き直ることです。神から離れ逆らっていることを認め、心から悔いて神に向かうのです。記者が「悲しみなさい」と命じているのは、世の楽しみに満足し、自分の罪を嘆くことも悲しむこともしなくなっていたからです。主が山上の説教で告げたように、悲しむ者は慰めの幸いをいただきます(マタイ5:3-5)。「へりくだりなさい」と命じるのは、神がいなくても自分(たち)だけで大丈夫と高慢になっていた人がいたからです。悔い改めは、主を信じる信仰をもたらし、主を信じる者は、罪から救われます。こうして自分を低くする者こそ神の国で高くされます。救われた時も、救われた者が主によって成長する時もそうです(詩篇51:17)。