2023年12月3日・・・高ぶりの罪が現われる時
兄弟たち、互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟について悪口を言ったり、さばいたりする者は、律法について悪口を言い、律法をさばいているのです。もしあなたが律法をさばくなら、律法を行う者ではなく、さばく者です。
ヤコブ4:11(11-17)
「悪口」(あっこう)は、悪く言う、敵対して言う、非難中傷する意味です。あからさまでなくても、日・・・常で抱く不満や違和感から口にしていることばに悪口が含まれていないでしょうか。ことばの背後にある罪を確かめ、それを主によって聖めていただき、神と人に喜ばれる塩気のあることばを語らせていただきましょう。
《第一に、悪口は、神のみこころに逆らい自分を神とする罪です(11-12)》
主は各自に個性や立場を与えておられます。それは互いに欠けを補い合い一致していくためであり、忍耐や愛を学ばせるための訓練として、主が与えてくださった恵みです。それにもかかわらず、相手が自分の考えや好みとは違う、自分に合わせてくれないと不満に思い、その人がいない所で非難してしまうことがないでしょうか。それは、神のお取り扱いが間違っている、神の導きに同意できないと主張することに他なりません。このように神よりも自分の判断を正しいとすることは、自分を神としていることです。聖書は、隣人をさばくあなたは、いったい何者ですか、と問い掛けます。私たちもそのような罪があるのではないでしょうか。
《第二に、神抜きの働きや誇りがどんなに愚かであるか気付きましょう(13-14)》
自分(たち)だけで事業を計画し実行できると公言している人に、記者は、自分だけで成せるのか、自分がもうけることを第一としているのではないか、と問いかけます。生きるために働くために必要な、環境・能力・機会も、すべて神が与えてくださったもの、いのちも神が委ねてくださったものです。1年先はおろか、明日・・・のことも私たちは保証できません。私たちはしばらく現れ消えてしまう霧です。自分のことしか考えないで高ぶっている人の愚かさを、イエス様は「愚かな金持ち」の譬えで教えました(ルカ12:16-21)。
《第三に、計画を主に委ねて主に従い、大言壮語をやめましょう(15-17)》
(1)自分の計画を主に委ねましょう(15)。自分を一番でなく主を一番にし、自分の願いを主に委ねて主が言われる事に従うのです(箴言16:3)。(2)自分を誇らずに主を誇るのです(16)。私たちは神の栄光を現わすために生まれました。それがいのちの道です。自分を神として誇るためではありません。それは滅びの道です。主を信じる者は、世から離れ主に頼り、主に栄光を帰します(ガラテヤ6:14)。主はご自身のために私たちが願ったことを、必ず成功させてくださいます。(3)主の導きに従い、主のみこころを行います(17)。主は、私たちの願いを最善に導こうとしておられます。良い願いなら応援し、悪い(的外れな)願いならその計画を止め、正しい道に導きます。(4)まず主が与えられた成すべきことに取り組みましょう。成すべき良いことを行おうとするなら、主が教えてくださり、みこころを行おうとする時、主が完成まで導いてくださいます。全能の主が約束しておられますから、信じて踏み出すのです。