2023年12月10日・・・裕福なことの危険
金持ちたちよ、よく聞きなさい。迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい。ヤコブ5:1(1-6)聖書は、富が信仰に対する神の祝福であることも語りつつ、弱い人貧しい人には優しく、強い者富んだ者に厳しく語っています。この箇所を通して、富や地位や力の危険について、共に確かめましょう。
《富に驕るなら不幸をもたらすことを忘れないように(1)》
貧富に関わりなく、神を第一にしているなら幸いです。しかし富んでいる人は富への誘惑や罠が大きいのです。願い通りに豊かになるとは限りません。賜物や機会を与えるのも神だからです。また豊かであるから幸せで安全というわけではないのです。豊かな人には、富をめあてに人々が集まり、人間不信や誘惑に陥りやすいのです。高慢や未熟さを負って人生を危うくする危険が大きくなります。豊かさに囚われて神から離れたら、神から離れたために豊かさに囚われてしまったら、その先は災いです。記者は5章の冒頭では、裕福な人への厳しい警告を告げています。それはキリストが弟子たちに告げたことばでもありました(ルカ6:24-26)。《富に支配されると富はその人を滅ぼしてしまいます(2-3)》
主は、富にも神にも仕えることはできない、と注意されました。富は偶像となって、その人の心を神から引き離します(マタイ6:19-21)。神から離れると富は腐って役立たなくなるばかりか、害を広げることになってしまいます(2)。富を神のため人々の益のために用いないと、その富が自分の欲望のために用いられ、その人は欲望に支配されてしまいます。また人々の欲望をかきたてて、富を奪われてしまいます。類比:財産を得ながら身を持ち崩した放蕩息子のようです(ルカ15:13-14)。また、不正に得た富は、その人の平安を失なわせます。不安を解消しようと富や地位を増やしても平安は得られません。やがて死が臨みますが、得た富は終りのさばきで役立たないのです。もしその人が主を第一にし、主と人々のために富を用いていたら、多くの人々を助け励ますために用いられ、天でも報いを受けたでしょう。
《富に囚われた人は気付かない間に虐げてしまいます(4-6)》
金持ちたちは、労働者を使役し十分な報酬を与えません、労務者はそれを受け入れるしかありません。生活に行き詰まった労務者は、自分を売って奴隷になり、給金なしで働かなくてはなりません。主は貧富の差が広がらないよう、同胞を顧みるよう律法に定めましたが、金持ちたちは守らないで私腹を肥やしていたのです。富の欲望に支配されると不正に富を得る誘惑に陥り、正当な訴えを受けても審きを曲げて自分を守ろうとするようになってしまいます。しかし、全てを知って支配しておられる主の御手から逃れることはできません(黙示20:12)。私たちは、主ご自身が犠牲を払って、私たちを罪の支配から救い出してくださった事を知っています。主はご自身を第一にするなら、他の必要もすべて満たしてくださると約束されました。なくなる地上の富のためでなく、いつまでも残る天の富を求めて歩みましょう(ヨハネ6:27)。