2023年12月17日・・・天から下ってきた生けるパン
わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、わたしの肉です。ヨハネ6:51(47-51)高木正勝兄
イエス様がガリラヤ湖の岸辺で5000人を5つのパンと2匹の魚で満腹にさせるしるしを行われた後、ユダヤ人の群衆たちは「まことにこの方こそ、世に来られるはずの預言者だ」と言って湖の反対側から船に乗ってカペナウムに戻られたイエス様を追いかけて来た。しかし、群衆の心の中を知るイエス様は「まことに、まことに、あなたがたに言います。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです」といさめられた。
《信じる者は永遠のいのちを持つ(47節)》
ユダヤ人たちはイエス様を捜し出して「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください」と求めた。すると、イエス様は「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません」と言われた。また「神が遣わした者をあなたがたが信じること、それが神のわざです」と言われ、神のわざとは人が神様に対して何かをする行いによって成るのではなくて、人がただ信じることによって神の恵みにより現われることをイエス様は教えられた。《先祖たちは荒野でマナを食べたが死んだ(49節)》
続けてイエス様は「あなたがたの先祖たちは荒野でマナを食べたが死にました」と言われ、ユダヤ人の先祖たちがモーセに率いられてエジプトを出た後にシナイの荒野で神様が天からのマナを与えて養われたことを教えられた。それは信じて信頼するならば神様は過不足なく必要を満たしてくださるお方であることを人々に教えてくださるためだった。しかし、先祖たちは荒野で神様のことばに素直に従わず、逆らい続けた罪のために荒野で死んだ。マナは神様が先祖たちを養うために天から与えられたパンだったが人に永遠のいのちを与えるものではなかった。しかしイエス様はご自身を指して「これは天から下って来た生けるパンで、それを食べると死ぬことがありません」と証しされた。《だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きる(51節)》
「食べる」というのは体の中に摂取して実際に細胞の中にまで取り込むことを意味する。イエス様は悔い改めた罪人のうちにご自身の聖霊を住まわされ、その人の霊を内側からまったく造りかえて永遠のいのちを宿す者としてくださる。また同時にイエス様がまことのパンとしてご自身を私たちにお与えになるということはイエス様がご自分の肉において、いのちを捨てられるということを意味する。イエス様は十字架にかかって死に、世のすべての罪人にいのちを与えるために天から降って来られた生けるパンだ。だれでもこのパンを食べるなら永遠に生きる。イエス様はご自分のもとに来る者を決して拒むことがなく、すべての人を受け入れこの上なく豊かにお与えになる神の独り子であるお方だ。それぞれに罪を悔い改め身を低くしてクリスマスの喜びのときを待ち望もう。