2023年12月24日・・・闇の中に輝く光
しかし、苦しみのあったところに闇がなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は辱めを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダンの川向こう、異邦の民のガリラヤは栄誉を受ける。イザヤ9:1(1-5)
キリスト誕生の約700年前に記されたこの預言を通して、神さまが、救い主イエス様を通して私たちを顧みておられることを確かめましょう。
《辱められてきたガリラヤは救い主の故に栄誉を受けます(:1)》
ガリラヤのあった北王国は滅亡し民はアッシリア帝国の捕虜とされました。帝国は外国から人々を移住させ、この地は外国人が住むようになりました。そこは、都エルサレムのあった南の地域から離れ、異邦人の地、辺境の地と呼ばれていたのです。しかしこの辺境で苦難の地は、救い主が住み働かれる光栄を受けます。キリストの両親とされるヨセフとマリアは、このガリラヤの地のナザレという小さな町に住んでいました。人口調査の勅令が出てヨセフは身重のマリアを連れ、故郷のベツレヘムに行き、そこでキリストは誕生しました。エジプトに避難してガリラヤに戻りナザレの町に戻りました。キリストはこの地で成長しこの地で救い主としての働きを始めました。私たちも苦しい時代、労多くして報いが得られない時代に置かれているかも知れません。しかし神はそのような弱い私たちを顧みておられます。
《闇の中を歩んでいた民は大きな光を見ます(:2)》
預言の通り神の栄光と希望の福音がこの地に最初にもたらされたことを福音書は記しています(マタイ4:16)。闇は悪の力の支配であり、不安や絶望や迷いをもたらします。どこにいてどこに向かうかと暗中模索し、希望を求めながら失望を繰り返す人生ではないでしょうか。希望と平和の時代は長くは続かず、病や戦争の恐れが再び色濃くなっています。不安をかかえている民は大きな光を見る、闇夜を昼間にするような大きな光を見た、とイザヤは神のビジョンを伝えます。ヨハネの福音書の冒頭にも、この預言が成就したことを証ししています(ヨハネ1:4-5,9)。光は、死の陰の谷(死の恐怖が覆うところ)に住んでいた人たちを照らします。それを照らすのは主だけです(詩篇23:4)。キリストを信じ従う者は、闇に勝利するのです(ヨハネ8:12)。主は弟子たちにこう約束しました。「あなたがたは世の光です。山の上にある町は隠れることができません」(マタイ5:14)。
《救い主は、悪の支配を砕いて平和と喜びをもたらします(:3-5)》
主は、苦難と戦いのために失なわれた民を増やし、悲しみを取り去り喜びを加えます。キリストの戦いと戦果は、囚われている同胞を救い出し、共に喜ぶ者とされることです。すべての人が罪に支配されていて、悪を除く端から悪が生まれてしまいます。しかし主は真の平和をもたらし武器を不要とします。非道の時代では自衛のため武器を持たざるを得ません。しかし武装は、自分を守ると言いつつ不当な攻撃に至る危険をなくせません。真の平和は、聖い全知全能の支配者である神によってのみ確立します。この方が、私たちを十字架の身代りによって一切の罪を赦して私たちを受け入れてくださいました。そして私たちの内に住んで、私たちを内側から聖め造り変えて、ご自身と共に平和を作る者へと変えてくださいます。キリストの平和は完成します。私たちの内に、神の光と神の平和がもたらされますように。