2023年12月31日・・・耐え忍ぶことの幸い
ですから、兄弟たち。主が来られる時まで耐え忍びなさい。見なさい。農夫は大地の貴重な実りを、初めの雨や後の雨が降るまで耐え忍んで待っています。
ヤコブ5:7(7-11)
聖書の教える忍耐は我慢することではなく、困難があっても希望をもって取り組み続けることです。改めて、忍耐の幸いを聖書から確かめましょう。
《第一に、人生の終りの収穫を覚えて心を強くしましょう(7-8)》
天国を完成するため、主は再び来られ、正しいさばきをもって豊かに報いられ、天国を完成します。記者ヤコブは、農夫の忍耐を思い起こさせ、自分たちも人生の実りを収穫するために耐え忍ぶよう勧めます。どんな働きも、必ず成果を得るかは判りませんが、期待して労するのです。
しかし主が来られて与えられる報いは確かです(黙示22:12)。そして必要なことを聖書ははっきりと伝えています。まず、主のみことばに従って救われる必要があります。神は十字架と復活によって罪の赦しと永遠のいのちを差し出して下さいました。しかしこの恵みは、信仰によって受け取らなければ与えられません。そして救われた者が報いられるのも恵みです(ヘブル10:36-39)。
《第二に、つぶやかずに誠実に歩みましょう(9-10)》
忍耐を切らしたらどうなってしまうでしょう。荒野の旅でイスラエルは主につぶやいたために、主は憤り、彼らは約束の地に入れませんでした(ヘブル3:15-17)。「互いに文句を言い合う」とは、自分を正当化し、困難を相手のせいにすることです。記者ヤコブは、預言者たちの模範を思い起こせと告げます。モーセはイスラエルの民の度重なるつぶやきを忍耐し、身を挺して民のためにとりなし、彼らを導きました。サムエルは、国中を巡回してみことばを語り続け、それでも主を捨てて人間の王を要求した民のためにとりなし続けました。エレミヤは、罪が極まって敗北と捕囚が必至だった民に、最後まで警告を与え、涙を流してとりなし続けました。預言者たちは、遥か後の人々がキリストの福音を信じる事ができるように、やがて来る救い主を預言しました(1ペテロ1:12)。地上での報いはわずかでしたが、主に支えられ、天で今豊かに慰められています。
《第三に、主にある忍耐は豊かな報いとなります(11)》
記者は、ヨブの忍耐と結末を思い起こすよう告げました。サタンは、神に喜ばれていた信仰者ヨブを訴え、苦しめたら彼は主を呪うに違いないと主張しました。主は、彼の「いのちには触れない」という条件で、サタンがヨブに試練を与えることを許可しました。サタンはヨブの子どもたちや財産を奪い、彼を皮膚病で苦しめました。友人たちはヨブに悔い改めを迫りましたが、彼は身に覚えがなく、神に信頼していました。自分の訴えを聞いてほしいと求め続けたヨブのもとに主が現われ、自身が一切をご存じで支配しておられることを示しました。主が告げた通り、ヨブは激しい試練の中で主に信頼し続けたことで、サタンは面目を失いました。主はヨブに以前の倍の祝福を与えます。主の慈愛は同情にあふれています。気持ちを理解するために降りてゆき共に苦しみました(ヘブル4:15)。主のあわれみは安堵を与えます。ですから、主に信頼し希望をもって歩みましょう。