元旦礼拝 2024年1月1日・・・私のたましいよ、全きいこいに戻れ
まことに あなたは 私のたましいを死から私の目を涙から
私の足をつまずきから救い出してくださいました。
詩篇116:8(1-19)
この詩篇を通して、心新たに一年を歩むための、「感謝」と「目当て」と「希望」を確かにしましょう。
《主が良くして下さったこと(1-7)》
記者は、主が自分にしてくださった良いことを思い返して歌い、「私は主を愛している」と、主への信頼と愛と従順を証しします。彼は、自分の声と願いを「聞いてくださる」と感謝し、主が耳を傾けてくださるから「私は生けるかぎり主を呼び求める」と歌います。神は、私たちを愛し関心を持ってくださいます。私たちの呼びかけ、語りかけ、心の思いを、心を向けて聞いてくださるのです(イザヤ43:4,エレミヤ31:3)。また記者は、いのちの危険の時に主は助け出してくださったと証しします。死に直面して恐怖と悲しみのどん底にあった時、記者は主に叫び求めました。すると主が同情してくださりあわれみをもって自分を回復してくださった、と感謝します。また、「主は浅はかな者をも守られる」と証しします。自分は無防備であったと気付いたのです。そして自身に「おまえの全きいこいに戻れ」と呼びかけます。主が守っておられますから、もう恐れる必要はありません(イザヤ41:10)。
《主の豊かな救いの恵み(:8)》
記者はここで、主が自分をどのように救って下さたかを歌います。彼は、主の救いを三つにまとめています。これらはこの詩人が現実に体験したことでした。しかし、主が彼の祈りに答えてくださいました。これらの困難から私たちを根本から救って下さった方は、主キリストです。 「私のたましいを死から」・・・・主はまず罪の結果である死から救い出してくださいました(ローマ6:23)。「私の目を涙から」・・・涙なしには過ごせない悲しいできごとから救ってくださいました(ルカ7:13,8:52)。 「私の足をつまずきから」・・・さらに人生の様々なつまずきや失敗から救い出してくださいました(ヨハネ16:1,ローマ8:28)。
キリストの救いは、(1)死と絶望の危険、(2)絶望の悲しみ、(3)試練や誘惑によるつまずき、からの救いです。今、私たちは、主イエスの身代わりの死によって罪が赦され、神と共に生きる永遠のいのちを与えられ、さらに神の子としていただきました。あなたは、苦難の中で主に叫んだときに、主が答えて救ってくださる経験もしたでしょう。この詩人のように主の御前を歩み、御名を呼び、誓いを果たし、感謝を献げましょう。
《主の御前に歩む幸い(9-19)》
このような救いを経験した詩人は、主の救いに応答します。 (1)「生ける者の地で、主の御前を歩みます(9-11)」。
天国に行ってからではなく、罪の満ちているこの世において、主を第一とし、主に従って歩み、身をもってキリストのすばらしさを現わします、と。
(2)主が下さったすべての恵みに、応答します(12-15)。
記者は、主のしてくださったすべてに、私はこう応えます、と歌います。救いの杯を掲げて、主は私を救ってくださったすばらしい神です。主の御名を呼び求めます。つまり主に祈り、いつも主を前にして歩みます。主のすべての民の前で、自分の誓いを果たします、と。記者はまた「主の聖徒たちの死は 主の目に尊い」と告白します。恵みに応答して生きる人は、その死さえも主の目に尊いものとなります。信仰を守り続けて、生涯を全うすることが、尊いのです(2テモテ4:7-9,ピリピ1:21)。
(3)喜んで感謝のいけにえを献げます。
記者は、主の前に告白します、あなたの救いをもって買い取られた私は主のもの主のしもべです、と。彼は、主のために生涯を献げて生きた。それが記者の切望であり幸いでした。パウロもそう証ししています(ピリピ1:20)。また感謝のいけにえを献げます、と告げます。主がしてくださったすべてに応えようとすることは、すべて、主への感謝から出たものでした。
彼は、どのようにしたら良いかと主に尋ね、主は彼の願いに答えてくださいました。救いを証しすること、主を呼び求めること、自分を主に献げる献身、誓いを果たすこと、賛美し、礼拝を献げること、・・・それらはすべて主に感謝してのことです。