2024年1月14日・・・リバイバルのための祈り
私の兄弟たち。あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を連れ戻すなら、罪人を迷いの道から連れ戻す人は、罪人のたましいを死から救い出し、また多くの罪をおおうことになるのだと、知るべきです。ヤコブ5:19-20(15-20)
聖書は教えています。私たちを愛し救ってくださった主と生きるために、私たちは生まれ、またキリストの十字架によって救われた、と(2コリント5:15)。この確信が呼び覚まされて、力強く働く歩み、共に祈って実を結ぶことができますように。
《混迷から連れ戻され、また連れ戻す必要があります(:19)》
イエス・キリストは「失なわれた者の三つの譬え」(ルカ15章)を通して、神は、どんな人でもご自身の元に立ち返ることを切望し喜んでくださることを伝えました。飼っていた羊の100匹の内1匹がいなくなった時、探し回って見つけたら、女の人の銀貨10枚の内1枚がなくなった時、掃除をして探し見つかったら、共に喜び合います。出て行って放蕩してしまった弟息子が帰ってきた時、父親は駆け寄って抱き、息子の帰還を祝います。神はそのように、自身のもとから離れていた取税人や罪人たちを喜んで迎え入れてくださいます。また皆に嫌われていた取税人の頭ザアカイに、キリストは声をかけ、彼を神と人に喜ばれる人に生まれ変わらせました。そして主は「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」(ルカ19:10)と宣言しました。私たちは、神のもとに立ち返される必要があり、神はすべての人がご自身のもとに立ち返るのを切望しています。そして神のもとに立ち返った者は主と共に、失なわれた人たちを、探し・見つけ出し・連れ戻す働きを負うのです。中には、神の恵みを知りながら律法学者のように、仲間をさばいたり、神を非難している人たちがいるかも知れません。その人たちをも、連れ戻す働きを主と共に負うのです。私たちは、人生や信仰の混迷から連れ戻され、また連れ戻す必要があります。
《連れ戻す働きは、人を死から救い罪を覆うことです(:20)》
罪が入る前、世界は神が造られた目的にかなった目標と在り方でした。しかし最初人が犯した罪が、子孫であるすべての人に広がった結果、すべての人が罪を犯す(=正しい在り方から外れる)ことになってしまいました(ローマ3:23,5:12)。神を信じない人は、自分が願う目標、自分が願うあり方を正しいと考えますが、聖書からすればそれこそが罪の根源、罪そのものです。自分が正しいと思うことの中で迷っており、いつまでも目標にたどりつけません。キリストと共に、迷った人々を連れ戻すことが、その人を罪の結末から救い出すだけでなく「多くの罪を覆う」ことになります。神から離れた自分が正しいとする根源的な罪は、多くの罪を生みます(1:15)。しかしキリストはすべての罪を解決してくださいます。キリストの十字架は、罪の根本だけでなく、そこから出てきたあらゆる罪をも覆います。主の恵みがあらゆる部分で広がって、生活・考え・人間関係・家庭・学び・仕事・趣味や楽しみ......あらゆるところに広がった罪の影響までも健全な状態に導きます(エペソ4:14-15)。