2024年1月21日・・・イエスを主と認めて、招きに従う
渡邊徹
シモンの仲間の、ゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンに言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです。」ルカ5:10(1-11)
シモン(ペテロ)がイエスの召命を受ける箇所であるが、シモンはここで初めてイエスと出会ったわけではない。彼は兄弟アンデレの紹介により、イエスに弟子入りしていた(ヨハネ1:40-42)。この箇所から主の招きに応えることを学ぼう。
《イエスの説教(1-3)》
イエスはゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸辺におられると、群集が神のことばを聞こうとして押し迫ってきた。そこで漁を終えて網を洗っているシモンに願い、彼の舟に乗り、陸から少し漕ぎ出した場所から人々を教えられた。漁を終えて帰ろうとしていたシモンは、はからずもイエスの話を群集と一緒に聞くことになった。夜通し働いたシモンにとってイエスの話はつまらなく、眠りを誘っただろうか。きっとそうではないだろう。彼は誰よりも近いイエスの足元、神のことばを浴びるようにして聞いた。イエスの恵み深いことば、悪魔や病気さえ去らせるほどの権威と力にあふれたことばを聞いて、彼は大きな衝撃を受けただろう。
《大漁の奇跡(4-7)》
説教が終わった時シモンは思わぬことばをイエスから告げられた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい」(4)。「夜通し働いたのに雑魚一匹さえ取れず、こんな日・・・は早く家で休みたいと思っていただろう。しかし彼は、「おことばですので、網を下ろしてみましょう」(5)と言った。イエスの足元で神のことばをじっと聞いていたシモンは、ひとまず自分の経験やプライドは脇に置き、イエスが言われるままにやってみようと、深みに漕ぎ出したのである。そして、その通りにすると、沢山の魚が入り、網は破れそうになった(6)。それは別の舟の仲間に助けを求めるほどの大漁だった(7)。私たちが主のことばに謙遜に従う時、主は思いも寄らない素晴らしいみわざをなしてくださる。
《イエスの招き(8-11)》
シモンはイエスの足元にひれ伏して、「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから」(8)と言った。イエスの内に聖なる神的なものを見て恐れたのであろう。無力さと罪を自覚した人は、自身の経験や力ではなく、イエスのことばに従って歩む幸いへと導かれる。恐れるシモンにイエスは言われた。「恐れることはない。今から後、あなたは人間を捕るようになるのです」(10)。すなわちシモンは、人々をイエスのもとに連れていく働きに召された。この召しに応えて、シモンは何もかも捨ててイエスに従った。イエスは、罪と悲惨のうちで死んでいた人を、神の恵みのご支配の中に招き入れ、ご自身にある永遠のいのちに生かしてくださるのである。神は私たちに、自分の罪深さとイエスが自分を救う唯一の方であることを悟らせ、自身のもとに招かれる。その上で私たちを、自身の救いを伝えて人々を迎える者へと造り変えてくださる(マタイ28:18-20)。