2024年2月4日・・・栄光の喜びに至る信仰
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見てはいないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍っています。1ペテロ1:8(5-9)
イエス・キリストの十字架と復活は事実です。そして十字架と復活によって、キリストは神であり救い主であることが証明されました。復活して永遠に生きておられるキリストが、信じる全ての人に罪の赦しと永遠のいのちをもたらします。これがキリストの福音です。その上で使徒ペテロはキリストの救いが信じる者に与える喜びを伝えます。
《第一に、神の全能の力により守られ実現するから喜んでいます(5)》
使徒は「信仰によって守られている」と告げます。主に信頼してみことばを聞き、みことばに従う、これが信仰です(ヨハネ8:31)。ブドウの枝が幹から養分を得て実を結ぶように、信仰は神の恵みを伝える管として、いのちを支えて実を結ばせます(同15:1-5)。また信仰は、神と人をつなぐ結び目です。交わり(きずなを育む営み)は、神のことばを聞いてそこに留まることによって築かれます(同15:7)。また、知ることは信仰によって、神と共に歩むことも信仰によってです(ヘブル11章)。こうして全知全能、きよい愛の神が、信仰を通して、私たちを守ってくださいます(ローマ8:32)。救いのゴールである天の住まいは備えられており、必ずそこに至ります(ヨハネ6:39,14:1-3)。だから信じた者は喜ぶのです。
《第二に、困難があってもそれがすべて益になるので喜んでいます(6-7)》
救いの喜びと同時に、様々の試練の中で悲しまなくてはならない、と使徒は信仰の現実も伝えています。楽な試練はありません。キリストも苦難を経験しなければなりませんでした。例えば、信仰を理解されず反発を買うこと、あざけりや誘惑を受けることです。また神は私たちの過信や高慢を砕くために、試練を与えます(ヘブル12:5-6)。弟子たちやパウロもそれを経験しました。金は火で精錬して純度と輝きを増すように、信仰は試練によって聖さと強さと輝きを増します。試練は成熟と完成に不可欠であり、試練を通して「称賛と光栄と誉れ」に至るのです。そして練られた信仰は、精錬された金よりも尊い朽ちない宝です。
《第三に、今はまだ見ていなくても確実に実現するので喜んでいます(8-9)》
確かに救いはまだ完成しておらず、キリストと再会して共に喜ぶ天国を、まだ見ることはできません。しかし今は見ていませんが、その時が必ず来ると信じており、ことばで言い表せないすばらしい喜びを与えられています。そう実感させ確信させるのは聖霊の働きです。冒頭の8節に使徒が告げているように、クリスチャンは自分に与えられているキリストを、見たことがなくても愛し、信じ、喜ぶ信仰を、共有しています。この見ずに信じる信仰の幸い、不思議と思える確信と平安と喜びを、私たちもいただいているのではないでしょうか。主は、復活したご自身を見てようやく信じた弟子たちに「見ないで信じる者は幸いです」と告げました(ヨハネ20:29)。この幸いを確信して喜びましょう。