2024年2月11日・・・信仰とは何か
信仰は、望んでいることを保証し、目に見えないものを確信させるものです。
へブル11:1(11:1-12:2)
三澤則幸
へブル人への手紙はユダヤ人クリスチャン、旧約聖書をよく知っている人たちに向けて書かれている手紙です。ここに証しされている信仰、約束のものを手にすることなく信じ続ける力は、どこから来るのでしょうか。
《1.称賛された昔の(信仰)の人たち》
(11:8)「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出てゆくようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました」。約束の地でアブラハムが生涯で手にした土地は、妻サラを葬るマクペラの墓地だけでした。75歳でハランを出て、カナンの地で175歳で召されるまでの100年間、彼は寄留者として天幕の生活を送りました。彼は約束の何を手にしたのでしょうか。彼は貧しかったから土地を所有できなかったのではありません。甥のロトが王たちの争いに巻き込まれ連れ去られた時、ダンまで追跡して敵に勝利しロトを含めすべての財産を持ち帰ったとき、ソドムの王が彼を出迎えた記事があるように、多くの財産と力を持っていたのですが、他国に住む寄留者として天幕生活をしていたのです。アブラハムには神の約束をどのように理解していたのでしょう。
《2.神が約束されたもの》
(11:13a)「これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでした」。約束されたものを手にすることが出来なかったとき、私たちはどのような思いになるでしょうか。アブラハムや多くの信仰の先人たちは、約束のものを得ることなく、みじめな生涯を送ったのでしょうか。決してそうではありません。(11:3b)「はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました」。彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。
《3.忍耐をもって走り続ける信仰》
(12:2)「信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」。私たちの信仰の見本はイエス・キリストです。キリストは、神から与えられた使命に死にまで忠実に従い、救いの業を完成されました。キリストの人生は神と人とに仕えた人生でした。本来人は神と人とに仕えて喜べるように創造されたのです。しかし罪により、人に仕えられて喜ぶような者になってしまったのです。しかしキリストの十字架の救いによって正しい状態に戻され、神と人とに仕えて喜べるものに変えられたのです。神のみ旨を知り、それを信じて生きる者に変えて頂きたいと思います。信仰の創始者であるイエスから目を離さないでいるとき、私たちの心が元気を失うことや、疲れ果ててしまう状態から解放されることでしょう。(ローマ8:28)「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています」。困難なときこそ私たちは、信仰の原点に立ち返ることを覚えましょう。