2024年3月3日・・・信仰と希望は神にかかっている
あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。第一ペテロ1:21(17-21)
この箇所の勧めに倣って、信仰と希望の確かな目標と土台に置いて歩ませていただきましょう。これこそが主に喜ばれる幸いな道です。
《第一に、神の子どもとして主を恐れつつ歩みます(:17)》
キリストを信じる者は、神の子どもとされ(ヨハネ1:12)、子として御国を含め神のものを相続します(ローマ8:17)。地上のものは、やがてすべてなくなり(2ペテロ3:10)、地上では不条理であっても、神は各自の行いに応じて公正にさばかれます。すべての人は罪があり天国に入れませんが、ただキリストの身代りの犠牲を信じて頼り「いのちの書」に名を記された者は入ることができます。地上の一時一時の歩みが、天での報いを左右します。ですから地上の日・・・々を、寄留者として神に喜ばれる歩みをして御国に帰る備えをしましょう。
《第二に、聖く尊いキリストの血によって空しい生き方から救われました(18-19)》
「先祖伝来」と言うと、各民族の誇りとする伝統が思い起こされるでしょう。しかしすべての民族は、大元の先祖であるアダムから罪と死を受け継いでしまっています(ローマ5:12,3:23)。罪のある者は、死後の永遠のさばきに至ります(ヘブル9:27)。地上の朽ちるものは、銀や金のように高価な貴金属をもってしても、罪と死の負債を帳消しにはできません。永遠の滅びを、やがて滅びるもので償うことはできません。しかし「キリストが十字架で流された尊い血は、罪を完全にきよめ、永遠のいのちを与えます(ローマ6:23)。旧約時代には、罪の赦しのために「きよい子羊」が犠牲とされてきました。その子羊は、キリストの予表でした(ヨハネ1:29,36)。キリストは、天の聖所にご自身の血を携えて、永遠の贖い(=罪の赦し)をなし遂げました(ヘブル9:24,26)。だからキリストにある者は、罪に定められることは決してありません(ローマ8:1)。
《第三に、信仰と希望は、永遠の主キリストに支えられています(20-21)》
キリストの救いは神の永遠の計画でした(エペソ1:5,7,11)。そして「この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださ」いました。キリストを信じる時、キリストの血によって背きの罪の赦しを受け」、「キリストにあって、御国を受け継ぐ者とな」ります。十字架と復活によって罪の赦しと永遠のいのちを与えてくださったキリストを信頼して従い委ね、このキリストに期待して歩めるのです。神が成し遂げ保証してくださる救い、これ以上確かなことはありません(ローマ10:11)。山上の説教の結論部分でキリストは語られました。(マタイ7:24)「わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができ」る、と。天地は滅びますが、主のみことばは永遠に立ち、信じる者を失望させません。この方を人生の土台として歩みましょう。