2024年3月24日・・・みことばを慕い求めなさい
生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。第1ペテロ2:2(1-4)2章からは、信仰を具体的に生かしていくための教えが続きます。冒頭の「みことばを慕い求めなさい」との幸いな命令を見てゆきましょう。
《第一に、純粋な霊の乳を慕い求めなさい(1-2)》
悪意、偽り、ねたみ、悪口など悪いものは、良いものを得るのを邪魔します。それらを捨てて主にきよめていただき、乳飲み子のように純粋な霊の乳・朽ちない種である福音のみことばを慕い求めるよう、ペテロは命じます。主は幼子のように神の国を求めよ、と教えました(マルコ10:14,マタイ21:16)。福音は、救いを受けさせ、成長させ完成させます(2テモテ3:15-17)。まず聖書そのものを読みましょう。祈りつつ、実行しようとみことばに向かう時、主がみことばを明らかにしてくださいます。最初は難しくても、だんだんと聖書が他の本と違うことに気付くでしょう。《第二に、すでに主の慈しみを味わっています(:3)》
イエス様を信じた時から、その人は新しく生まれる恵みをいただいて、喜び・平安・感謝・自由を与えられています。また、深まる聖書の理解、祈りの答え、主にある交わりのすばらしさ、主の守りと最善を経験し、徐々に気付くようにされます。主は御子を下さる程に私たちを愛し、いつくしみ深い方です。信じた時にそれを体験して味わっています(詩篇34:8)。味わうとは、実際に深くじっくり体験して確認することです。
《第三に、救いの岩である主のもとに来なさい(:4)》
これらを体験したのに、なぜ今、困難に意気消沈しているのか、とペテロは問い掛けます。彼らは、主のいつくしみのすばらしさを確かに味わいました。しかし困難に囚われて、主から目を逸らし、主と共に歩もうとしなかったために、せっかくいただいた主の恵みやいつくしみ、あわれみを経験できなくなっていました。世はキリストを拒み捨てましたが、この方は神が立てた「生ける石」です。キリストは自身の死によって罪の赦しをもたらしました。そして約束通り、よみがえり、永遠に生きて私たちを救い、自身の御国を広げておられます。ダニエル2:34-35や詩篇118:22-24の預言の通りに、人々が捨てた石が(救いの)土台のかしら石となりました。ペテロは「主のもとに来なさい」と招きます。主はすべての人に「わたしのもとに来なさい」と招いておられます(マタイ11:28)。主は、自身のもとに来る者を見捨てません(ヨハネ6:37)。主は頼る者を失望させません(ローマ10:11)。必ず救いを完成します(イザヤ9:7)。救いを広げ、完成するために主はご自身のからだである教会を立てました。聖書を慕い求めて読み、救われ、バプテスマを受けて教会に築かれましょう。聖書のみことばは救いをもたらすだけでなく、私たちをキリストのからだである教会に結びつけて、完成へと導くのです。