2024年3月31日・・・死んでも生きるいのち
イエスは彼女に言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。ヨハネ11:25(17-27ほか)これは、肉親と死別した女性に主が告げた宣言です。この箇所を中心に、キリストが死の問題をどのように解決されたかを確かめましょう。
《なぜ人は死ぬのでしょうか、罪の故です》
死は大切な人との結びつきを断ち切ります。老いは死の前兆として忍び寄り、病や事故は突然襲っていのちを脅かし、奪います。誰にでも及ぶものだから、ある程度長生きすれば「自然」のこととして諦め受け入れるという考えもありますが、死後の問題は解決しません。聖書は告げます「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」と(ローマ5:12)。最初の人アダムが神との約束を破ったために罪が世界に入りました。罪(神との一致を破壊すること)が死をもたらしました。神がいのちと一切の源だからです。この最初の人の罪が、子孫である全人類をも支配し、人は罪を止められません(ローマ7:18-20)。これは、否定したくても避けられない現実です。
《キリストは罪の結果である死を解決します(ヨハネ11:25-26)》
イスラエルの民は、信じて死んだ者は神のもとに憩い、やがてよみがえって共に生きる時が来ると漠然と信じていました。しかしキリストは、自身がこの希望を実現すると宣言したのです。キリストはこれまでも死者をよみがえらせましたが、今回は、人々の前で聞こえるように祈り、自身が父なる神に祈った通りに、よみがえることを証明されました(ヨハネ11:42-44)。しかし一時的によみがえらせても死の解決にはなりません。キリストがよみがえらせた人は、いつまでも生きているわけではありません。やはり肉体は衰えて死んで行きました。死の問題は、罪の問題を解決しなければ、根本解決にはならないのです。《キリストの使命は身代わりに死んで罪の赦しを与えることです(マルコ10:45)》
キリストの第一の使命は、私たちを罪から救うことです(ヨハネ10:18)。「罪の報酬は死です」(ローマ6:23)。「血を流すこと(=いのちの犠牲)がなければ、罪の赦しはありません」(ヘブル9:22)。しかし動物のいのちは人の身代わりには不十分です。罪ある人は罪の身代わりになることはできません。キリストは、預言の通りに、私たちの罪を負って死なれ復活されました。死は罪の赦しの犠牲です。復活は、贖いが受け入れられキリストにより永遠のいのちが与えられることの証明です(使徒10:43他)。永遠のいのち(永遠に神と共に生きる)は、この方を信じる信仰を通して、キリストをいただく恵みによって与えられます。私たちを神から隔てる罪は、キリストの身代わりを信じる時に、赦されました(ローマ8:1)。そしてキリストは信じる者の内に生きておられ、私たちをきよめ、生かし、完成します。信じる者はキリストの十字架と共に罪に死に、キリストの復活と共に永遠に生きる者とされます。地上のいのちは尽きますが、それは、天において神と共に永遠に歩む天国への入口です。