2024年4月7日・・・神のお導き
あなたの真理に私を導き教えてください。あなたこそ私の救いの神、私はあなたを一日・・・中待ち望みます。詩篇25:4-5(1-7)
石居義生
ダビデはこの詩で、主の守りと導き、そして赦しを願います。
旧約の時代は神からの力強い導きが直接与えられました。そして今、神を求め、神のことばから学び、命令に従おうとする者には、キリストが残された聖霊と聖書、また教会を通して、導きが与えられるのです。
《第一に、旧約時代の導き》
ヤコブの子ヨセフ以来エジプトに暮らすようになったイスラエルの民が、奴隷のような立場から逃れようとします。しかし、それを許さないファラオの気持ちを変えさせるために、神は数々の奇跡を起こします。民が漸く脱出できた後も逃げる途中の道案内、戦い、食べ物、水等、数えきれない奇跡で彼らを導きますが、その時は感謝する民も直ぐ偶像礼拝、不道徳、自己満足に陥ります。時代を経て、導きは預言者や一部の人を通してしか与えられなくなり、ついには400年近く聖書に神からの導きが記録されなくなりました。
《第二に、神の思いと人の思い(:1-3)》
キリストに信仰を持つ人は、大きな判断決断をし、行動する時、「自分の思い」を神に伝え、神のみむねを伺い導きを得ようとします。正しい道を選択しその歩みが守られるように願うからです。ダビデは神への信頼と委ねを告白し、神に敵対する者からの守りを祈ります。しかし本当の敵は神に従って生きようとする私たちに反対するものです。自分の中に潜む欲、その欲をそそのかすサタンの働きです。そのサタンの影響を受けている「自分の思い」とも言えます。神の思いを伺う前に、先ず自分の心の思いを調べることが大切です。(詩編139:23)
《第三に、地上に来られたキリストの導き(:4-5)》
進むべき道と真理の導きを願うダビデの願いは長い沈黙の時を経て、キリストの降誕という形で実現されたのです。ことばの神は(ヨハネ1:1-2)人として地上に来られ、数々の導きを下さいました。そして人の罪の身代わりとなって十字架で死に、復活されました。その十字架を信じる者が罪赦され永遠のいのちをいただくという真理を教えて下さったのです。(ヨハネ17:2)「神の思い」は人がその救いに与かり御子キリストの似姿に近づき、聖化されることが願いなのです(ローマ8:29)。
《第四に、キリストの遣わされたものが導いてくださる(:6-7)》
キリストはわずか3年余りで、天に昇られました。それ以降キリストが遣わされた御霊(ヨハネ6:7)を通して、また、旧約の時代の導きとキリストの導きが記された聖書、それに教会を通して様々な導きが与えられるのです。ダビデは罪の赦しを願いますが、人は本来その罪ゆえ神の導きに値する者ではありません。神は慈愛によって私たちを導いてくださいます。静かに御霊に耳を傾け、みことばに親しみ、しっかりと教会に連なり、神の導きを豊かに受ける者になりましょう。