2024年6月9日・・・主イエス様に畏敬の念を抱く信徒
スミス・ジェームズ師彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。使徒9:5(1-22)
どんなことに感動されるだろうか?使徒9:1-9には、パウロがイエスと出会い、クリスチャンになる様子が描かれている。この時、彼の名はサウロといった。ダマスコへの道でイエスに出会ったときから、パウロはイエスに深く心を動かされた。パウロは救われただけでなく神に召され、ほとんどすぐにその召しに従い始めた。同じように、イエスが私たちの人生に来られるとき、イエスは私たちを変えてくださる。ダマスコへの道でのパウロの変化を見ながら、パウロのように、主イエスに畏敬の念を抱き、変えられていこう。
《1.パウロはイエスを見て、すぐに心が変えられた(使徒9:1-6)》
パウロはクリスチャンを迫害するためにダマスコに向かっていた。彼は神の働きをしているつもりだったが、悪の働きをしていたのだ。イエスは道すがら、突然、奇跡的にパウロに現れた。パウロは驚いた。イエスは「なぜ私を迫害するのか?」と尋ねられた。この時からパウロの態度は変わった。彼は自分が全能の神の前に立っていることを知っていた。パウロは主イエスに畏敬の念を抱いてそこに立っていた。彼は「主のことばである方」(詩篇33:6)の前にいたのだ。私たちがイエスを救い主として信じたとき、パウロのような奇跡的な出会いはなかったかもしれないが、宇宙の創造主であり救い主であるイエスに出会い、同じように感動し畏敬の念を抱いた。《2.パウロの忠誠心はすぐに変わった(使徒9:6-8)》
これまで、パウロの忠誠はユダヤの宗教指導隊であるサンヒドリンにあった。しかし、イエスに出会ったとき彼の心は変わり、忠誠心も変わった。彼はもはやユダヤの宗教指導者には従わなかった。パウロはイエスに従い、従った。イエスに従い始めると、私たちはしばしばイエスを友人として見る。その通りである。イエスは弟子たちを友と呼ばれる。同時に、イエスは私たちの救い主であり、主である。イエスに従う者として、私たちの忠誠は誰よりも主イエスにある。《3.パウロの使命はすぐに変わった(使徒9:19-22)》
この時点で、パウロはすでに神の召しをある程度受けていたことがわかる。ほんの数日・・・前に、パウロはクリスチャンを迫害していた。この時から、パウロは「ただちに、イエスは神の子であると宣べ伝え始めた。」短い時間の間に、パウロは奇跡的に闇から光に変えられ、新しい使命を得たのだ。主のための私たちの使命と働きは複雑ではない。クリスチャンとしての私たちの基本的な使命は、万物の創造主である救い主イエス・キリストに出会う方法を人々に伝え、互いにイエスの弟子として成長するのを助けることだ。そして、栄光や富や権力のためにそれをするのではありません。私たちは、イエスがどのようなお方であられるかのためにそれを行うのだ。私たちは、救い主のために喜んで神の使命を果たす。イエス様を救い主として信じる時、この方が万物の創造主であり、自分の罪を赦し、天国を受け継げるように、いのちを献げたことを知る。それを理解した時、あなたの心や忠誠心、人生における使命が変わるだろう。第一に、イエスがどのようなお方であられるかを理解することに努めよう。イエス様はあなたの個人的な救い主なのだ。第二に、忠誠心を変えよう。誰よりも主イエス・キリストに従うのだ。すべてのクリスチャンは、主イエスに献身すべきだと思う。第三に、主の使命に関わろう。やるべき仕事がある。すべての信者は神の働きに関わるべきだろう。さらに、フルタイムの献身をしている人たちは、今の場所で神の使命に携わると同時に、神が自分をどこに導いてくださるのか祈ろう。主イエスに畏敬の念を抱こう。