2024年6月16日・・・バプテスマは救いの証し、神への誓約
この水はまた、今あなたがたをイエス・キリストの復活を通して救うバプテスマの型なのです。バプテスマは肉の汚れを取り除くものではありません。それはむしろ、健全な良心が神に対して行う誓約です。1ペテロ3:21(18-22)
バプテストとはバプテスマを授ける人の意味で、聖書の教えにかなったバプテスマを守ろうと立ち上がった群れにつけられた渾名(あだな)から始まりました。使徒ペテロを通して教えられているバプテスマの意味を共に確かめましょう。
《罪のないキリストが私たちの罪のために苦しみ死なれました(18a)》
本来なら善を行った人を苦しめる悪は除くべきです。しかし神のご計画ならば、それは悪を行って苦しむより良い、と記者は告げます。なぜなら正しいキリストが私たちの罪のために苦しんで救いをもたらしたからです。記者ははっきりと「正しい方が正しくない者たちの身代わりになられた」と告げます。キリストは、私たちが罪を赦されて救われる道を切開くためにこの世に来られました。誰も払えない罪の代価であるいのちの犠牲を、罪のない御子キリストが身代わりに負われたのが十字架です。そして私たちのため死んで葬られ、罪と死に勝利して復活し、陰府から私たちの所に戻られました。そして、赦しといのち、神の子の特権と御国を持つご自身を、信じる者に与えてくださいました。
《洪水から人類を救った箱舟はキリストの予表でした(19-20)》
神は、罪が極まった悪い時代を滅ぼしましたが、ノアに箱舟を造らせて人類に救いの道を備えさせました。信じて箱舟に乗った者は、洪水を潛り抜けて再出発します。キリストは自身のさばきが、ノアの時代と同じように来ると告げました(マタイ24:37)。そして洪水のさばきから救う箱舟が備えられたように、自身が罪へのさばきから救う救いの船として来たことを告げました(ルカ17:26-27)。「霊たち」というのは不信仰によって滅びに向かっている人々です。ノアの時代も、キリストの時代も、今も、人々は自分の日・・・常の生活のことばかりに夢中で、神のさばきのこと、救いのことを考えようとしませんでした。そして主がせっかく救いの道(ノアの時代には箱舟、新約の時代では十字架と復活のキリスト)が与えられたのに、信じようとしないで滅ぼされてしまいました(2ペテロ2:5)。
《洪水と箱舟で予表されたバプテスマはキリストの救いの誓いです(21-22)》
箱舟は、洪水のさばき(=死)をくぐり抜けて生かす船です。悪い時代でも「神と共に歩んだ」ノアたち8人や、地上の生き物たちを守るために、神はノアに箱舟を造るように命じ、この箱舟によりさばきから守られました。同様に、死をもたらす神のさばきをくぐり抜けて生きるキリストに乗り込むことによって私たちも死をくぐりぬけて生かされるのです。またバプテスマはキリストの救いを象徴する誓いです。信じた者はキリストと共に罪に死に、葬られ、キリストと共によみがりました(ガラテヤ2:19-20a,ローマ6:4)。バプテスマは、キリストの死と復活を通して、神のさばきから救われたことを証しします。つかる水は人を救いませんが、バプテスマの形によって生き生きとした信仰を証しします。この真実な告白を受けて、教会はバプテスマを授け、その人は教会に加わり、訓練され成長しながら、キリストの身丈をめざすのです。