2024年6月23日・・・福音を伝え福音に生きる根拠
このさばきがあるために、死んだ人々にも生前、福音が宣べ伝えられていたのです。彼らが肉においては人間としてさばきを受けても、霊においては神によって生きるためでした。1ペテロ4:6(1-6)罪に支配されている世に染まらないで信仰に堅く立つことを勧めています。信仰に立つ道は楽ではありませんが、幸いな道であることを共に確かめましょう。
《第一に、キリストに倣い罪に支配されないように戦うのです(1a)》
「肉において苦しみを受ける」とは、罪に支配されている世に染まらずに、神に喜ばれる道を歩むことです。私たち人間は、救われてもなお残っている肉の性質に悩み苦しんでいます(ローマ7:18-19)。罪のないキリストは、罪の苦しみと重荷を私たちの代わりに負い、それに勝利しました。信じた者はキリストと同じ心構えで「みことばと信仰によって」心を武装することで、キリストと共に罪に勝利できるのです。キリストが誘惑に勝利したように、私たちも罪に勝利しましょう。かつては、人間の欲望に支配されて生きていましたが、キリストを信じて罪を赦されるだけでなく、罪の支配から解放されました。ですから、神に造られた人本来の幸いなあり方、神が私たちに用意された最善のご計画の中に歩むのです(4:2,エペソ2:10)。《第二に、さばかれる罪を増し加える欲望の歩みはもう十分です(1b-2)》
救われた者も、かつては欲望の支配に身を委ねて歩んでいました。しかし「もう十分です」とペテロは告げます。欲望に身を任せると一時的な満足は得られますが、正しい道から逸れて行きます。主は聖書や教会を通して、このままではいけないことを知らせ、キリストを求めるよう導いてくださいます。そう思えない場合もあるでしょう。恵みを履き違えて罪深い道を歩もうとする心得違いがあります(ローマ6:15)。また厳格な家庭で生まれ育ったために、自分は正しいと考えながら一番神から離れてしまっている場合もあります。確かに、救われて人ではなく神を喜ばせようと歩むようになった人は世には憎まれます。しかし悪い関係を断ち切らなければ、終りのさばきの時に、主からこれまでの悪業を問われることになってしまいます。《第三に、神は私たちのために救いの道を知らせてくださいました(5-6)》
聖書ははっきりと、死後のさばきを告げています(ヘブル9:27,黙示20:12-14)。神が救いを用意し救いの福音が伝えられたのは「このさばきがあるため」です。イエス様は、今の状況はノアの洪水の前のようだと告げました(マタイ24:37-39)。救いの知らせは、キリストの救いの前から告げられてきました。ノアの洪水、出エジプトにおけるわざわい、イスラエルに与えられた律法と祝福と呪いの預言によってその時ごとに、信じた者は救われ信じなかった者はいのちを失いました。罪が神を拒み反逆すること、救いは神との結びつきを回復することですので、悔い改めと信仰なしに救いは不可能なのです。罪の罰と償いは御子キリストが身代りに負われたので、罪人はただ神に立ち返り信じれば良いのです。神を喜ばせる力がなくても、キリストが共に歩み、その力と人格を与えてくださいます。しかし、拒むのを止めて神に立ち返らなければ、救いは得られません。だから、今もキリストの救いの福音が教会を通して、伝えられているのです。