2024年8月4日・・・心を込めて牧しなさい
あなたがたのうちにいる、神の羊の群れを牧しなさい。強制されてではなく、神に従って自発的に、また卑しい利得を求めてではなく、心を込めて世話をしなさい。1ペテロ5:2(1-4)
5章には、長老や若者そして聖徒たちへの愛に満ちた指導が記されています。冒頭の「長老たち」(=教会の霊的指導者)への勧めを確かめましょう。
《使徒ペテロは同じ長老の一人として長老たちに勧めます(1)》
ペテロは自身について長老・監督・牧者の呼称を用いているように、教会の霊的指導者である牧師は先の三つの面の指導を担っています。彼は十二使徒の中心人物でしたが、「同じ長老のひとり」として長老たちに勧めています。キリストの苦難の時に、使徒たちは逃亡し、ペテロは予告された通りに主を否んでしまいました。それでも自身を「キリストの苦難の証人」と紹介しました。弱く愚かで失敗者である自分を主は見捨てず、牧者として立たせてくださったからです。また「やがて現される栄光にあずかる者として」、長老たちに、この祝福ににあなたがたも共にあずかるのだと伝えて、勧めました。パウロが証ししたように「主のあらわれを慕い求める者」のすべてに、主はご自身の栄光に与るのです(2テモテ4:8)。私たちも、主にある尊敬をもって、共に仕えてゆきましょう。
《主の奉仕者は、利得や強制からでなく自ら心を込めて世話をします(2)》
伝道者は、福音を宣べ伝え教会を建設するため自分と生涯のすべてをささげて(これが「フルタイム」の意味)仕えるように召されています。それは、パウロが証ししているように「当然の義務」であり、全力で為したとしても当然のことをしたまでです(1コリント9:16)。当然のことであっても「強制されて」自分から進んで為すように、勧めます。伝道は使命ですが、それ以前に喜びであり、いのちです。また人間的な利益を求めず、自由にささげて仕えられること自体が報酬と覚えて仕えます(1コリント9:18)。たましいの救いと成長は、朽ちない永遠の祝福、伝道や牧会に携わせていただく奉仕は、そのために用いていただくすばらしい働きです。そして漫然と仕えるだけでなく、心を込めて仕えるべきです。主に喜ばれるのは、ただ主のため教会のために心込めて仕えることです。
《主の奉仕者は、担当する人たちを支配するのではなく模範となります(3)》
伝道や牧会の働きは宣教の大命令、救いにあずからせ弟子とし、主が命じられことを教会の人々が「実践できるよう」に教え導くことです。ペテロは主によって「割り当てられている人たち」に仕えるよう告げます。選り好みでなく、主が与え委ねられた主のものである方々として真実に仕えます。全知全能の主が、賜物と助けを与え、耐えられる中で共に完成してゆけるように、導かれるのです。主に祈り従いつつ、最善を尽くしましょう。また彼は、弱く愚かで失敗の多い自分も、主に愛され訓練されて恵みによって用いていただいていることを証し、主の恵みの豊かさをいただく模範となりなさいと勧めます。パウロも「私にならう者となってください」(1コリ4:16)と勧めました。私たちも主の恵みをいただく模範となることができます。