2024年9月15日・・・年老いた時も見捨てないでください
年老いて白髪頭になったとしても、神よ私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。詩篇71:18(1-24)
主に信頼して信仰の戦いを続ける証しの詩です。敬老の記念と共に、この詩篇を通して晩年に向けての心得と、最晩年に向けての備えを確かにしましょう。
《年老いた時も、主に身を避ける私を守ってください(1-16)》
信仰に立つ自分を主が守ってくださるから、信仰者は大胆に祈ることができます。自分の正しさでなく、主の公正・真実・あわれみを知ったからこそ、自分が不完全でも主に祈ることができるのです(ローマ8:31)。記者は「わが神よ」と信頼を込めて「悪者の手から助け出してください」と祈ります。平和が脅かされていました。これまで守って下さった主の恵みを思い起こし、記者は、いつも賛美していると証しします。人々は、試練の中でどうしてこの人は守られてきたのか、と驚いたのです。記者は今、晩年にあり困難の中に置かれていました。。それでも彼は、主に期待し、「いよいよ切に、あなたを賛美します」と証しできました。
《年老い衰えた今も、主はご自身の義と力によって勝利させてくださる(16-19)》
強い者を助けるのも弱い者を助けるのも、主にとっては変わりません(2歴代14:11)。記者は「ただあなたの義だけを心に留めて」と証しします。どんなに優った人だとしても、主の前には罪深い無価値な者に過ぎません(マタイ3:9)。しかし主は、ご自身の義によって罪深い者を義と認めてくださいます(ローマ4:5)。記者は、自分が若い頃からも、年老いても、主に頼り、主を証しし続けると告白します。主が、自分を愛し救い、恵みをもって祝福してくださったからです。また、主の義と救いは大きく、天まで届くと賛美します。主の救いは天の祝福へと私たちを導きます。旧約の聖徒に優って、御子キリストの十字架の救いを知った私たちはなおのこと、感謝と喜びをもって主を賛美し証しすることができるのです。体力の衰えに伴い、気力や精神力も衰えます。しかし私たちの内に与えられた、朽ちないいのちは、主と共に歩む一時一時の恵みを通して、増々きよく、力と知恵と希望にあふれさせます(2コリント4:16)。
《主を賛美する時、悪と災いに勝利する(21-24)》
晩年には、様々の試練と困難があります。衰えに伴なう、体調変化や状況の変化。交代や継承という重要な務めの責任と試練。地上を後にするための自他の様々の備えが必要です。また、晩年おいては、健康や立場の個人差は大きくなり、またそれらがいつ揺るがされるか判りません。試練は避けられませんが主は試練と共に脱出の道を備え、また成長させてくださいます。記者は「主が私の偉大さを増し・・・」と祈ります。それは、人間的・世的な偉大さでななく、ただ主の恵みに与っている事実です(ガラ6:15)。主は顧みて慰めてくださいます。記者は主の恵みを確信して、楽器と歌を用い、救われた心と霊をもって賛美します。聖徒は、困難の中で主の慰めを受けて、周囲にかえって慰めを広げることができます(2コリント1:4-5)。これが主にある者の「偉大さ」です。