2024年11月17日・・・イエスの招きに従いましょう
石居義生イエスは別の人に、「わたしに従って来なさい」と言われた。
ルカ9:51(51-62)
イエスはガリラヤ地方の伝道を終え、苦難、死、復活そして召天といよいよエルサレムへの決死の旅に向かわれます。イエスは肉の姿を取ってこの地上に来られた神、このお方に従うことはどのような意味があるのか学んでゆきます。
《第一に、イエスはエルサレムに行くことを決心された(:51)》
イエスはナザレの会堂でイザヤ書(61:1-2)の預言を教えられ、その時ご自身が天から遣わされた救い主メシヤだと宣言されました。このイエスは天に上げられる日・・・、すなわちイザヤ(53章)の預言にもあったように人を罪から救うために行動される時が来たことを知り、エルサレムに向かわれるのです。それはエルサレムで、ご自身が人の罪の贖いのために、全人類の身代わりとなって、十字架で死なれることでした。人の身代わりは人でしか代ることができませんが、それには完全ないけにえでなければならず、すべての人は罪を犯しているので、いけにえに値しません(ローマ3:23)。神であり人であるイエスがこの世で唯一全く罪のない人間でもあり、人を永遠の死から救えるただ一人のお方なのです。《第二に、弟子としてイエスに従うためには(:53-62)》
エルサレムへは、最短距離である敵対関係にあるサマリアを通る道を選ばれました。イエスの一行を迎え入れないサマリア人に腹を立てたヤコブとヨハネは与えられていた権威と力で彼らを滅ぼそうとしますが、それをイエスは叱りました。イエスは敵対者も滅ぼすことは望まれず、すべての人が悔い改めるのを望む寛大なこころを持っておられるのです。それから三人の人が登場し、イエスに従う覚悟、福音を伝えるための覚悟と従うことの最優先を問われ、イエスに従うことの難しさを見ます。しかし従うことから得られる対価は、私たちにははるかに充分過ぎるものがあるのです。