2024年11月24日・・・救いの恵みを捨ててはならない
主であり、救い主であるイエス・キリストを知ることによって世の汚れから逃れたのに、再びそれに巻き込まれて打ち負かされるなら、そのような人たちの終わりの状態は、初めの状態よりももっと悪くなります。2ペテロ2:20(18-22)
偽教師について語る2章の最後の部分です。教会内から出てきた偽教師がどんな状態にあるか、どんな結末を迎えるかをこの箇所から確かめましょう。
《自分自身が、迷いに支配されて滅びに向かっています(18-19)》
偽教師たちがしていることは、人々を本物から離し偽物を売り付けることです。空しい教えを吹聴し、福音を否定します。安易な楽しみに誘い、救いを求める人々を邪魔します。福音は、罪を解決しなければ祝福といのちは得られないと教え、罪を解決するキリストのもとに招きます(ヨハネ14:6)。この唯一の救いの道を拒む人たちが、偽教師になってしまうのです。キリスト以外に救いはないのに、キリストを拒んでいる偽教師は、当然救いは得られません。パリサイ人・律法学者は、律法の行いで救われると言い、放縦主義者は、罪を捨てなくても愛の神は救うと言い、まじないや秘儀は特別の知識と体験で救われると言います。しかしどんなに熱心に上手に語り誘っても、それを信じた人に救いを得させることはできません。救いの道はキリストだけです(使徒4:12)。
《彼らは福音に触れる前より、もっと悪い状態に陥ります(20)》
救いを失なうとか、救われたか最後まで判らない、というのではありません。「世の汚れから逃れた」とは主の恵みの良い影響を受けることで、必ずしも救われた事を意味しません。救いには、自分の罪を認め、主キリストが自分の罪のために死んでよみがえられたことを知って信じ委ねるのです。その時に、その人はキリストと共に死んで罪を赦され、永遠のいのちをいただきます。こうしてキリストに結びつけられた救いは、どんな試練の中でも保たれます(ローマ11:29)。救いに導く恵みを経験したのに、救いに入るのを拒んで神を信じない生き方をするなら、より信じにくくなり、他の人たちの救いを邪魔することになります。偽りを語り誘惑する人の心は、偽りと欲望に増々支配されるようになってしまいます。
《救いの機会が与えられたら、逃してはなりません(21-22)》
救いの道を知り、主に従えとの戒めを受けながら、拒むならば以前よりも救われることが困難になります。救われる時の年齢は、若い頃の方が断然多いのです。人生を重ねる中で、キリストの福音に触れる機会を経験していきます。しかし信じないで遣り過ごす経験が積み重なる程に、信じにくくなり、福音を拒んで偽教師の道に陥る誘惑に遭うのです。そして救いのために残された時間は少なくなるのです。「犬は自分が吐いた物に戻る」「豚は身を洗って、また泥の中を転がる」との例えは、汚れた習慣を身につけてしまうと、なかなかそこから脱出できな現実を示しています。しかし悲しむ必要はありません。福音が語られる場所に身を置くならならば、みことばが語られ、信仰を呼び覚まします。そして、信仰によって主を呼び求めるならばだれでも救われるのです(ローマ10:13-17)。