2025年1月19日・・・過ぎ越しの子羊キリスト
三澤則幸
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。ルカ22:20(7-22,39-46)
《1、新しい契約、キリストの血の契約(7-20)》
過ぎ越しの祭りは、約400年の奴隷の状態から、神がイスラエル民族をエジプトから救い出したことを記念する祭りです。最後の災いがエジプトに下される時、子羊が屠られ、その血が門柱と鴨居に塗られた家は主の災いから守られました。出エジプトの時、主はイスラエルに次の4つの約束を与えました(出エジプト6:6-7)。①導き出し②救い出し③贖う④わたしはあなたがたの神となる、です。4つの約束に合わせてユダヤ人は、ぶどう液の杯から4回飲みました。
過越は、キリストの十字架の救いの予表です。「この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です」(20)。新しい契約、それは私たちの罪の奴隷の状態からの解放の宣言です。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊」(ヨハネ1;29)。過ぎ越しの子羊はイエスご自身です。
《2、「わたしの願いではなく」、神との交わりからの断絶と苦悩(39-42)》
「それからイエスは出て行き、いつものようにオリーブ山に行かれた」(39)。「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように」(42)。この杯は、新しい契約であるキリストの救いのために、過ぎ越しの子羊とされたキリストの受ける十字架刑であり、それは人類の罪を一身に引き受けるための苦き杯でした。イエス・キリストは神の子であり、同時に、人としての弱さも私たちと同じくお持ちでした。
《3、「御使いが天から現れて」、ゲツセマネでの神の守りと励まし(43-46)》
「すると、御使いが天から現れて、イエスを力づけた」(43)。「イエスは汗を血のしずくのように流して祈られた」(44)。「イエスは祈り終わって立ち上がり」(45)。この立ち上がりは、復活を表わす言葉と同じです。それは「わたしの願いではなく」神のご計画に従う決意に満ちた【立ち上がり】でした。この後、イエス様は十字架の道をまっすぐに進まれました。決意は行動を伴います。「わたしの願いではなく」この言葉は、私たちキリスト者の生涯の課題として示されています。私の願い、私の計画、私の人生設計、常に私が主となるような生活から、神のみこころを求めて【立ち上がる】ことをキリストは願っておられます。
《4、キリストの優しい目差し(43-46)》
弱さと恐れのため3度主を知らないと言ったペテロを優しく見つめられたキリストは、同じまなざしで弱い私たちを見つめておられます。私たちの弱さをもご存じのキリストは、新しい力を頂き、立ち上がって、みこころに生きるように招かれます。決意し一歩踏み出す行動をとったとき、聖霊なる神が私たちを励まし導いてくださいます。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう」(ローマ8:31)。「私を強くしてくださる方によって、私はどんなことでもできるのです」(ピリピ4:13)。聖書はこのような励ましのことばで満ちています。神の守りと導きを信じ、神のみこころの中に立ち上がり歩む者に変えられたいと願います。