2025年2月9日・・・み子イエスの血は罪をきよめる
もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。
1ヨハネ1:7(5-7)
この手紙の背景には、キリストの福音をギリシアの二元論に取り込み、骨抜きにする偽りの教えが教会に入り込んでいた危機的状況がありました。彼らは、罪の現実、人となった神キリスト、十字架の贖いと信仰など、福音の根幹を捻じ曲げていたのです。使徒である彼は、キリストの生き証人として、キリストがどんなお方かを証しし、神の真理の光の内を歩めるように、戒め励まします。
《神は光であり、この方には闇が全くない(5)》
神は創造者、きよく罪がないお方です。良い所も悪い所もあるが人に優る存在が神だ,との考えが真の神を知らない者の見解であることを主ご自身が人々に啓示して来られました。神が世界と関わり、語りかけ、わざを成した歴史を聖書が伝えているのです。聖書は、神が世界を創造し、神の中に世界がある、と告げています(創世記1章,使徒17:28)。神は光を持ち、その光は照らし、暖め、きよめ、いのちを育みます。光を持つ神が、救い主として来て、世界を照らしてくださったのです(ヨハネ1:4,8:12,12:46)。光である神には闇(罪に支配されているところ)が全くなく、闇に勝利します(ヨハネ1:5)。
《光の内を歩むか闇の中を歩むかが、真理を行っているかを明らかにする(6)》
ギリシアを初め人間の思想では、罪は人の理想をじゃまするものであり、人間社会で問題にならなければ正しい、罪はないとされます。しかし神の前では、神を知らず認めない事自体が闇であり罪です。真の神・救い主であるキリストが現われた時に、人はこの方を憎み排除しました。神が持つ、真の権威ときよさと正しさにより、自分が誇っていた正しさが、神の前では闇であることを突き付けられました。そして、自分の誇りを失いたくないために、キリストを拒み殺したのです。人は、内側から「悪い考え、殺人、姦淫、淫らな行い、盗み、偽証、ののしり」が出てきます。しかし、自分の罪を認めてキリストを信じた者は、罪を赦されて神のものとされ、神の光の内を歩むのです。こうして、主にある平和や、感謝、満足、喜びをいただきます。そして神を喜び神に喜ばれていることが証しされます。
《キリストの内に歩めば、イエスの血がすべての罪から私たちをきよめる(7)》
闇がきよまるためにどうすれば良いでしょう。きよくなってから主のもとに行こうとしても無理です。人は自分で自分をきよめることはできません。きよくされるためには、自分に闇があることを認めて主のもとに行き、照らしていただけば良いのです。キリストは、そのような人たちを招かれました(マルコ2:17)。聖書が教えるきよさは、罪や汚れのない神の完全さです(1ペテロ1:16)。そこに至るために、(1)キリストを信じて、罪の赦しと永遠のいのちの救いをいただきます。(2)キリストと共に日・・・々光の内を歩む中で、きよめられてゆきます。(3)終りの日に、聖く傷のない者とされて主の前に立ちます(コロサイ1:22)。神は光であり闇に勝利します。キリストの救いにより神と結びつけられた人は闇の中を歩みません。罪が残っていても主に任せれば赦しきよめてくださいます。