2025年3月30日・・・世ではなく神を愛す
あなたは世も世にあるものも、愛してはいけません。もしだれかが世を愛しているなら、その人のうちに御父の愛はありません。1ヨハネ2:15(15-17)この箇所で、ヨハネはだれを愛する(=大切にする)かについて三つの視点から伝えています。聖書が伝えている愛の判別、愛の源、神の愛と人の愛の呼応を知って、祝福された愛の結びつきを築いてゆきましょう。
《人を殺す者には、永遠のいのちがとどまりません(15)》
兄弟を憎む(=愛さない)者は、人殺し(=その人を損う者)です(15a)。キリストは、隣人を愛し敵を憎めと言っている人々に「敵を愛し、迫害する者のために祈るよう命じました(マタイ5:43,44,48)。聖書が一貫して教えているのは「悪を憎め」ということです(詩篇97:10,レビ19:18)。敵とみなして憎むことで、人を殺す罪に陥ってしまうのです(マタイ5:21-22,25)。そのような人には「永遠のいのち」は留まりません(15b)。みこころに反する態度だからです。しかし救いは、信じる人に永遠のいのちをもたらし、神は信じた人をご自身と一致するように聖めます。拒むならば救いを受けられませんが、罪を認めて悔い改めれば良いのです。罪人のかしらのパウロでさえ赦されました。《キリストの十字架の愛を知った者は兄弟のためにいのちを捨てるべきです(16)》
聖書は繰り返し、神は私たちを愛してご自分のいのちを犠牲にささげられたことを証ししています(ヨハネ3:16,10:18,ローマ5:6-8)。このキリストの愛の犠牲によって、私たちは真の愛を受け、理解しました(4:15-16)。キリストは自身の犠牲によって罪の赦しを与えるだけでなく、私たちを支配している罪の性質を聖め、私たちが永遠に主と共に生きるため、復活したご自身を私たちに与え、自身の愛で満たしてくださいました。キリストを信じて救われ、キリストに結びつけられ、キリストと共に生きる時、私たちはキリストと同じように考え、同じように行動するようにされていきます。キリストに愛された者として、私たちは周囲の人たちのために、自分の事を後にして祈ったり係わったり、キリストを伝えたりして労する、それが愛することです(1テモテ2:4,6)。《困っている人にあわれみを閉ざす者には神の愛は留まりません(17)》
主が与えておられる富や力を、助けを必要な方々を見つけ、その人のために用いなさい、と主は命じています。困った状況にあることに気付いているのに、「あわれみの心」を封じ込めてしまうならば、キリストの思いである愛を拒む事になってしまいます。キリストの愛を知って実感しているならば、そのように愛やあわみを封じ込めてしまうことは、あり得ないことです(2コリント5:14-15)。キリストを救い主と信じ、神の愛を経験し、知って、満たされているならば、人を踏みにじることはあり得ません。愛の主に倣って兄弟を愛することをめざします。困っている人がいたら、助けようとします。その変化が信じた時から起こっています。その祝福を確かめ育みましょう。こうして私たちは揺るがない確信をもって、神と人に喜ばれる道をキリストと共に歩んでゆくのです。