2025年4月13日・・・これこそ永遠のいのち
あなたがたは、初めから聞いていることを自分のうちにとどまらせなさい。もし初めから聞いていることがとどまっているなら、あなたがたも御子と御父のうちにとどまります。これこそ、御子が私たちに約束してくださったもの、永遠のいのちです。1ヨハネ2:24-25(22-25)
この箇所を通して、主が約束された「永遠のいのち」が何であるかを理解し、信仰によって永遠のいのちを持っていることを確信しましょう。
《反キリストは御父と御子を否定する者(22)》
最もひどい「偽り者」は、第一に、神を愛し知っていると言いながら、神の命令を破っている人です(2:4)。神を愛している者は神の命令を守ります。神を愛する者にはそれは重荷とはなりません(5:3)。第二に、「罪を犯したことがない」と主張する人です。神は「全ての人は罪を犯した」と宣言しておられるのを知りながら、自分の罪を否定することは、神が偽りを言っていると主張することです(1:10)。神が聖書でそう告げていることを知りながら、罪を指摘する神と、人を罪から救うために人となって来られた神であるキリストを否定するのが「偽り者」である「反キリスト」(=キリストに敵対する者)なのです。
《御子を告白するか否定するかが、御父と御子を持つかを決める(23)》
記者は、反キリストの考えに捕えられてはならない理由を告げます。神のひとり子は、神から離れてしまっていた人類に本当の神を知らせるため、人となって来られました。また私たちを罪から救うため、身代りに死ぬために人となられました。これが一番の目的です。全ての人は罪を犯し身代りとはなり得ないので、罪のない御子が人となられたのです。聖書の中心は「福音」、それを凝縮したのがヨハネ3:16です。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」。キリストを否定するならば、キリストを送られた神との関係を回復できません。このキリスト以外に、神のもとに回復する道はないのです(ヨハネ14:6,使徒4:12,1テモテ2:5)。この方を信じるならば、神をも完全に持つようにされます。御子と御父はひとつであり、御子を遣わした父を受け入れる者は御子を受け入れ、御子を受け入れる者は父を受け入れるのです(ヨハネ1:1,13:20)。
《御子と御父のうちに留まることが御子が約束した永遠のいのち(24-25)》
初めから伝えられた教えを守るべきで変えてはならない、とヨハネは注意します。反キリストは、福音が世の常識や願いに対立するからと変えようとしました。しかしキリストのことばを変えたら、キリストとの結びつきを失なうことになってしまいます。永遠に完全である神のことばが、私たちに与えられた聖書です。それに加えたり除いたり変えたりしては、自らにさばきを招きます(黙示22:18-19)。キリストの救いは、罪の赦しと永遠のいのちです。罪の赦しは、罪の罰と滅び、また罪の支配から解放され、神と人に喜ばれる善いことを願い実行できるようにされることです。「永遠のいのち」は、神のいのちを受け神と一致して共に歩むことです。永遠の神と共に生き続けるために、朽ちるいのちが朽ちないいのちに変えられます。キリストのことばに留まることが、私たちが救いを受け守られ完成する道なのです。