2025年5月25日・・・神の子どもはキリストに似ていく
愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。
1ヨハネ3:2(1-3)
この章の冒頭の部分から「自分を聖くすること」は、キリストに似てゆく中で起こることであることを、共に確かめましょう。
《神の子どもとなるために父なる神はすばらしい愛を与えくださった(1)》
神は、私たちを神の子どもとするために天にある全祝福で祝福されました(エペソ1:3-6)。創造前から、私たちを御子の内に選び聖く傷のないものにしようと計画、つまりキリストによって「ご自分の子どもにしよう」と愛をもって定めました。この計画を実現するために、神はすばらしい世界を造り、人を神の似姿・神のかたちとして創造しました(創世記1:26-27)。最初の人類が神との約束を破り、神との愛と信頼の結び付きを破壊してしまいましたが(ローマ5:12)、それをキリストのみわざで解決し完成するように約束して成し遂げて来られたのです。聖書全体がその計画と実行を私たちに教えています。旧約時代はキリストを送るための準備、新約時代は実際御子が救い主として来られ、十字架と復活により罪の赦しと永遠のいのちを与え、この救いを教会を通して世界に広げ、完成していくことを告げています。
《信じた時から神の子どもであり、再臨の時にキリストに似た者になる(2)》
人はキリストを信じた時から神の子どもです(ヨハネ1:12,ローマ8:14-16)。聖霊が、キリストのものすべて、罪の赦し、永遠のいのち、神の子どもの特権(神との交わりや願ったものがすべて与えられること、御国の相続)をもたらします。完成に向かっていますが、最終的にどうなるかは、まだ明らかにされていません。親が子どもの成長に合わせて子どもに任せる範囲を定め、成人するまで見守り育てるのと、同じです。やがて、救いの完成のためキリストが栄光の姿で「再臨」される時に、私たちはこのキリストに似た者にされます。それは、キリストをありのままに見るからです。私たちの変えられた状態は、実際変えられるまで判りませんが、楽しみにしていましょう。
《神の子どもは完成を待ち望んで、キリストのように自分をきよくする(3)》
キリストにあって神の子どもとされた人は、キリストに似た者となることを待ち望んでいます。キリストと、いのちや霊が結びついていますが、まだ共に生活してはいませんが、やがて共に顔を合わせて共に生活する時が来ます(黙示21:2-3)。信じて救われた人たちが「自分をきよくする」のはこの祝福の時に備えるためです。「きよい」とは一致していることです。主が喜ばれない考えや習慣や係わりを除き、主により喜ばれる者に変わっていくのです。祈り、聖書、賛美、奉仕、交わり、証し、また日・・・常生活や学びや働きの一つ一つが、きよくされるために用いられる営みです。この目標をめざしていくために、神は聖書を通して教え導き、教会によって実践していくのです。神の子どもとして成長し、キリストに似ていくために大切なのが「礼拝」です(ローマ12:1-2)。