2025年7月27日・・・自分のいのちを勝ち取る
渡邊徹
あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。
ルカ21:19(10-19)
今日・・・のテーマは「自分のいのちを勝ち取る」こと。これは、地上のいのちが保たれることではなく、霊的に生き抜いて完成することを意味している。救われたからと言って、必ずしも、災いから免れることはなく、長生きするとは限らない。イエス様は弟子たちに、「忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい」と命じた。この命令をどのように実行したら良いだろうか?
《聖徒は様々な困難を経験する(10-17)》
イエス様は、終わりの時代が困難な時代となることを告げられた(ヨハネ16:33)。立派な神殿を認めている弟子たちに、主は神殿が破壊されることを告げた。彼らが世の終わりのさばきの時のしるしを尋ねた時に、主は答えられた。偽の教え、偽キリスト、戦争のうわさから実際に戦争が起こる。クリスチャンは地上においては愛と平和を築く者であるが、その信仰の故に、世の人は、災いがクリスチャンのせいだと考えて迫害する。しかし、この迫害を通して、教会はかえって強くされ、救いが広がっていく。迫害が証しの機会として用いられる。クリスチャンは、家族や友人にも裏切られ、殺される者も出てくる。世を罪に定めたキリストへの敵意がクリスチャンに及ぶからである。
《主は困難の中で私たちを守ってくださる(18)》
(1)十万本もある髪の毛一本も失われないと主は約束された・・・・つまり完全に守られる、困難に遭っても何も失われないと。この世では、全ての人が死ぬが、イエスを信じる者は救われて、永遠のいのちを受けるのである。主は一切をご存知、私たちが日・・・頃心に留めないすべてのものまでも。人の守りは抜けがある。しかし、主の守りは完全である。(2)信仰のゆえに失うものがあるように見える。しかし主は、一時失うものより遥かに豊かに与えてくださる。(3)主にあって失うものは、なくて良いもの、主の妨げとなるもの。そして主が代わりに与えて下さるものは、遥に素晴らしいものである。
《忍耐によって自分のいのちを勝ち取る(19)》
救いは恵みと信仰によって得られる。神がこの救われた人に期待されていることは忍耐を持つことである。自分のいのちは一番大切なもの。しかし、人は自分の力でそれを守ることはできない。罪と死を解決できないからである(マタイ16:26)。自分のいのちを守ってくださる方は、キリストだけである。心配しないで、主に委ねる。主は最善のものを与えてくださる(マタイ6:27)。今生かされている時に、キリストを信じて、罪に死に、キリストと共に生かされることによって、永遠のいのちを与えていただくのである。気まぐれで体調に左右される「気分や感情」に左右されずに、安定して仕えられるように、自分を訓練する。神が不可能を可能として下さることを発見する。問題なのは、最初からあきらめてやろうとしないこと。それはクリスチャン生活にふさわしくない。主を信じて、勇気をもって、肉体に打ち勝ってゆこう(ヘブル10:37-39)。