2025年8月17日・・・愛し合うことで神の愛が完成
いまだかつて神を見た者はいません。私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
1ヨハネ4:12(7-12)
記者ヨハネはキリストの命令である「互いに愛し合う」ことの必要と、キリストにより実践することができ、困難に打ち勝ち愛を確立できると教えています。
《愛が本質である神を信じた者は、愛し合う者とされています(7-8)》
人の生まれつきの愛は自己中心で、自分の好む者や自分の益となる者しか大切にできません。しかし、神から生まれ神を知っている主にある兄姉として、互いに愛し合うよう、記者ヨハネは勧めます。その根拠は、愛は神から出て信じた人の内に満ちているからです。信じた者は、キリストによって愛である神と結びつけられました。神と自分を隔てる罪を赦された、神と和解し受け入れられ、神と共に歩んでいます。神の本質は愛ですから、だから神を知っている(持っている)者は、真の愛をも持って知っています。神を知っている者は、必然として愛を持っています。そして、神の愛に根差した生活をすることで、その人は神から生まれた事を確信してゆきます。しかし、愛のない者は、神を知らず神を持っていないのです。
《御子を宥めの備えものとして与えた事実にこそ神の愛が明示されました(:9-10)》
神の愛は、神がご自身の御子を遣わし、私たちに永遠のいのちを与えて下さったことに現わされました(ヨハ3:16)。愛とは、相手を大切にし、相手の幸せのために自分の大切なものを与えることです。神がまず私たちを愛されました。私たちがまだ罪人、神を知らず、神に敵対して歩んでいた時にです(ローマ5:6-8)。。私たちが神を知らず、神に逆らって神から離れていた時に御子は私たちの罪のために死んでくださいました。その犠牲は、「宥め」(罪に対する神の怒りとさばきを取り除くため)の犠牲でした(ルカ23:34)。自らの犠牲により罪を赦す権威を証明したキリストは、不当な迫害をした者をも赦し平安をもって迎え入れてくださいます(ルカ24:36)。御子は私たちの罪と不義に対する神の怒りを鎮め、神は愛とあわれみをもって私たちを恵んでくださいます(ローマ3:25,1ヨハネ2:2)。これ程の愛を受けた私たちは、キリストの愛に満たされ、キリストの愛に動かされて兄弟を愛する(大切にし自ら犠牲を払う)のです(3:16)。
《互いに愛し合うことで、私たちのうちに神の愛が完成していきます(11-12)》
神がまず私たちを愛し愛で満たしてくださいました。だから私たちも互いに愛し合うべきです(11)。キリスト誕生の700年前に記されたイザヤ書にキリストの犠牲と救いが預言されています(イザヤ53:6-12)。キリストの誕生と生涯と十字架と復活、そしてとりなしと救いの完成において、キリストは私たちを愛し続けておられます。これこそ愛の極み、愛の証明、愛の尽きない源です。キリストを信じ告白した時、私たちの内で、神の愛が泉となります。そして互いに大切にし合うことを通して、神の愛が私たちの内で完成するのです。愛の完成には紆余曲折があります。最も愛を実践すべき家庭や教会で、愛の欠乏・挫折・歪み、慢心や甘えが生じやすいのです。愛と信頼の挫折の中で、私たちは傷付きますが、主は癒やし、勝利させてくださいます。「善をもって」悪に打ち勝つのです(ローマ12:21)。