2025年9月21日・・・あなたはわたしを愛していますか
三澤則幸
彼らが食事を済ませたとき、イエスはシモン・ペテロに言われた。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」ペテロは答えた。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」イエスは彼に言われた。「わたしの子羊を飼いなさい。」ヨハネ21:15(1-19)
《ペテロに「わたしを愛しますか」と三度聞かれたイエス(15-17)》
なぜイエスは三度もペテロに同じ質問をされたのでしょう。しかし、イエスは言われた。『ペテロ、あなたに言っておきます。今日・・・、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないといいます。』(ルカ22:34)。イエスの裁判前に、「あなたとご一緒なら、牢であろうと、死であろうと覚悟ができている」と言ったペテロの決意はくずれ去り、その予言は現実となります。しかし復活されたイエスは、三度知らないと否定したペテロに三度「わたしを愛しますか」と問われました。この時に用いられた「愛」には、ギリシア語の「アガぺー」と「フィレオー」が用いられています(聖書欄外参照)。ギリシア語の愛には三つの愛の表現があり、聖書では友や同志間の愛(フィレオー)、見返りを求めない愛(アガぺー)が使われていて、イエスは一度目と二度目はアガペーを、三度目はフィレオーを用いて、ペテロに「わたしを愛しますか」尋ねられ、ペテロは三度ともフィレオーで答えました。
《「私が愛することは、あなたが御存じです」と三度答えたペテロ》
イエスの三度の赦しはペテロが立ち直る機会となり、イエスの愛がペテロを癒し、失敗と挫折から立ち上がらせたのです。ペテロのように私たちにも多くの失敗と挫折があります。自分の罪を悔やみ自己憐憫に陥り座り込んでしまいがちな私たちに、キリストは立ち上がることを願っておられます。この世にある限り私たちが罪から全く離れて生活することはできません。サタンはイエスを信じた私たちの信仰を奪うことはできませんが、私たちの罪を示し立ち上がる力を奪おうとします。そんな私たちをも神はアガペーの愛で愛してくださるのです。まず「神が私たちを愛された」のです(1ヨハネ4:10)。私たちが神を知らずに敵対していたときにも、すでに愛して下さり神との正しい関係に立ち返るようにキリストの救いを用意されたのです(ローマ5:8,10)。赦されたペテロの人生はその時から変えられ、殉教の死に至るまでイエスを宣べ伝えたのです。人は神の愛に触れたときに変えられるのです。
《欠けだらけの人の愛を引き上げる偉大な神の愛》
私たちの愛は状況によって変化します。しかし神の愛は見返りを求めない一方的な愛です。「たとえ山が移り、丘が動いても、わたしの真実な愛はあなたから移らず、わたしの平和の契約は動かない。あなたをあわれむ方、主は言われる」(イザヤ54:10)。これが神の愛です。大祭司の官邸で「あなたもイエスの仲間だ」と言われ、「そんな人は知らない。嘘なら呪われても良い」とまで言い切ったペテロを、主は振り向いて見つめられました。それは、愛して赦すまなざしです。私たちも罪においてはペテロと同類です。主のご愛にお応えしましょう。聖霊なる神が私たちの愛を引き上げてくださるように祈りましょう。「あなたは、わたしに従いなさい」(ヨハネ21:22)。この主の招きにペテロは従いました。