2025年10月12日・・・神の証しと聖徒の確信
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。1ヨハネ5:14(10-15)この箇所を通して、神の証しの確かさを再確認し、その確かさを知るもう一つの恵みの手段である、祈りが答えられることの大切さを確かめましょう。
《御子を信じる者は神の証しを自分の内に持つ(10)》
神の証しは、御子を信じる者に永遠のいのちを与えるため、神が御子を世に与えたこと、また、御子についての証しは、この方が救い主であり、この方を信じる者は永遠のいのちを持つこと、です(ヨハネ3:16)。神の証しは、最も確かな証拠であり真理です(ローマ10:11)。御子を受け入れて持つためには、信仰をもってこの方を受け取る必要があります。そして信じるだけで恵みにより御子が与えられるのです。プレゼントは無償で差し出されますが、受け取るのを拒むなら得られないのです。永遠のいのちとは、神と結びついて永遠に共に生きること。つまり、神と、すべてを共有して共に生きること、です。「神はキリストにあって、天上にあるすべての霊的祝福をもって私たちを祝福してくださいました」(エペソ1:3)。その祝福は、愛、恵み、交わり、赦し、栄誉、喜び、......あらゆる祝福です。
《神の証しとは、御子によって永遠のいのちを与えたこと(11-13)》
ここで記者は、神の証しを再確認します。神は、信じる者に御子を与えました。その結果その人は御子を持っています。それは「神の証し」を体験して自分のものとしていることです。しかし、信じない人は、御子を拒んでいるために、持っていません。神が告げた福音は、「すべての人に罪があり、人はそれを克服できない。そして神はキリストによって罪から救い、永遠のいのちを与える」と、すべての人に約束しています。しかし、くりかえしますが、「神を信じない者は、神を偽り者として救いの約束を拒む故に、永遠のいのちを持てないのです。偽教師の教えによって、聖書が語っている「神、罪、義、キリスト、永遠のいのちや救いさえ、ねじ曲げられていました。ヨハネは使徒として、本来の信仰を再確認し、彼らが確信と平安をもって信仰を歩めるようにしました。