2025年11月2日・・・苦しみの時に慰めをくださる神
石居義生神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。それで私たちも、自分たちが神から受ける慰めによって、あらゆる苦しみの中にある人たちを慰めることができます。2コリント1:4(1-11)
パウロは自分の福音宣教の試練を通して、神のみを信頼するとき神は他の人を慰めることができるように私たちを慰めてくださる、という自分自身の経験を通して、それを福音宣教と教会形成の苦しみの中にいるコリントの教会の人々に伝えます。
《1.神のみこころによって変えられたパウロ(1-2)》
パウロは学識もある厳格なパリサイ人でした。十字架に付けられ呪われて殺されたキリストが神の子のわけがないと、そのキリストを信じる聖徒たちを異端者と見なし、迫害の先頭に立っていました。ところがさらに迫害を拡げようとダマスコに向かう途中、復活のキリストに出会い、回心し、「神のみこころ」による召しを受け、迫害の急先鋒からキリストの証人、宣教者へと劇的に変えられたのです。《2.神からいただく慰め、与える慰め(3-10)》
パウロは不品行・不一致の中にいるコリントの人々を「聖徒」たちと呼び、彼らに愛を示し、彼らの信仰に望みをかけるのです。そして彼らが悔い改めることを願って手紙を送りました。その後コリントを訪問したパウロは、混乱を起こしている人を処罰し、同時に愛による赦しを人々に求めます。パウロの叱責の手紙や処罰の厳しさは、彼らに対する期待と、彼らを思う愛のためなのです。彼らを愛する故に、コリントの人たちの苦しみは自分の苦しみなのです。そしてパウロは、キリストが示された過酷な伝道の働きを辿り、迫害に遭い、かつて自分が犯した過ちのための誤解など苦しみの中にいましたが、これらの苦しみを通して自分の無力さと限界を知り、神にのみ信頼する機会を得ました。そのとき神が「どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださる」ことを体験しました。神の慰めは、みことば等、様々な形でいただけますが、大切なことは、苦しみに負けない力を与え、励まして希望をもたせ試練を乗り越えさせる「慰め」なのです。」
キリストは人の罪による神と人の断絶された関係(=死)の回復のため、呪われるべき人(私たち)の身代わりとなって、肉体的、霊的な苦しみを受けられました。弟子たちはそれを見て恐れ、散ってしまいました。しかし彼らは、キリストの苦しみと死を通して、罪を赦してくださる神の愛と寛容を悟るのです。そしてキリストの十字架と復活を信じて、罪と死に対して勝利されたキリストを与えられ、罪と死から救われたのです。教会はキリストの体であり、コリントの人々も私たちもみなこの教会に建て上げられます。そして苦しみの中で主から受ける慰めをいただき、それを証しし合うことで交わりを深め、励まし合うことを勧めています。