2025年11月30日・・・真理と愛の内に歩もう
私たちが御父の命令にしたがって歩むこと、それが愛です。あなたがたが初めから聞いているように、愛のうちを歩むこと、それが命令です。(2ヨハネ6)ヨハネ第二の手紙は、短い手紙ですが、第一の手紙を凝縮したような密度の濃い内容をもっています。この手紙の前半部分から「真理と愛の内に歩む」道を共に確かめましょう。
《主にある愛のあいさつ(1ab)》
差し出し人は、当時「長老」の通り名で通じた使徒の生き残りのヨハネ、宛て先は、匿名の「選ばれた婦人とその子どもたち」(13節も参照)、主の救いに与っている母なる教会とその信徒たちを指していると考えられます。記者ヨハネは、自身が主にあって彼らを愛していると宣言します。これがキリストの十字架を信じて救われた者たちの確信です。《主にある愛の確信は真理を知ったことにある(1c-3)》
記者は告げます。真理を知っている者たちは愛している。真理が私たちの内に留まっているからだ、と。記者ヨハネは、福音書に記したように、御子イエスこそ真理そのものであり、このお方がとどまっている者たちは愛し合っていると宣言しているのです。主にある聖徒のしるし、また聖徒を結びつけているのは「愛」です。これは旧約から一貫して伝えられている神のみこころです(マルコ12:29-31)。主である神を愛し、主にあって自分と隣人を愛することは、律法の中の最も大切な戒めであり、キリストを信じて救われた者は、これを実行する者に変えられました。真理であるキリストによって、聖徒たちは、主の愛に満たされて愛を実践できます。この結びつきの中にあって、主の恵み(主の善意からもたらされる祝福)、主のあわれみ(本来の幸いな状態に回復しようとする主の熱心な働きかけ)、主の平安(主の守りの中でこれで良いという揺るがない満たしと安心)が満ちてゆきます。記者は、これらが豊かにされ完成するよう祈ります(3)。
《信仰によって可能な神の命令は愛のうちを歩むこと(4-6)》
まだ全員がキリストの内を歩むようになってはいませんでしたが、記者は大いに喜んでいました。主にあってしっかり立っている聖徒がいるならば、全体を変える主の力が働き広がることを信じていたからです。主は見捨てず立ち直らせ、成長させ、完成まで導いてくださいます(ピリピ3:12)。使徒たちも十字架の前に逃げ出し、復活の主を見ても疑う中で、主は彼らに福音を委ね、教会は聖霊に満たされて福音を広げ、主にある愛を証ししました。神の命令は愛の内を歩むことです(6)。キリストも、実を結ぶため自身の愛に留まれと命じました(ヨハネ15:4,9)。愛の神に留まり共に歩むことで、結果として自ずと愛を行っているのです。このように愛を(無理なく)実践し続けているかどうかが、真理の内を歩んでいることの自身や奉仕者への試金石になります。そうでなかったとしても心配はいりません。信じた者は、悔い改めて主に立ち返れば良く、主を呼び求めるならば必ず救われて愛に満たされます(1テモテ2:4,ローマ10:13)。