2026年1月11日・・・信仰のために戦う必要
愛する者たち。私たちがともにあずかっている救いについて、私はあなたがたに手紙を書こうと心から願っていましたが、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。ユダ3(1-7)キリストの肉の弟のユダによる書です。信仰のために戦うとはどういうことか、なぜそれが必要であるかを共にこの箇所から確かめましょう。
《キリストのしもべとされたイエスの兄弟ユダ(1-2)》
記者は肉の兄でもあったイエス様のことを、主また救い主と崇め、自分はこの方の「しもべ」と紹介しています。また彼は、自分をキリストの肉親という特別の立場に置かず、キリストを信じた者は皆、神に愛され神に召され救われた者と呼びました。そして今偽りの教えによって悩まされている教会に、困難にあっても主によって守られている、と証ししたのです(ヨハネ3:16,6:37)。彼は祈ります。「あわれみと平安と愛が、あなたがたにますます豊かに与えられますように」(2)。キリストにある神の「あわれみ」(=本来の幸いに回復させる熱心な働き)、平安(=神との平和と一致)、愛(=御子を下さる程の深い愛)、それはますます豊かに与えられていくものです。だからこそ、恵みと救いの管である信仰が守られるように、ユダは書き送りました。私たちも救いによって、この恵みをいただいています。《伝えられた信仰のために戦うことの必要(3-4)》
ユダは、救いについて書き送ろうとしていました。その広さ深さ高さは、知っても知り切れないほどすばらしいものです(ヨハネ21:25)。しかし今、急を要する必要、「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました」と、この手紙を記した理由を伝えます。信仰を豊かに育むことは大切です。しかし、信仰や教会のいのちがおびやかされたら、それを守り、損なわれた信仰を回復することを、第一優先にすることが必要です。それは、天災や恐しい感染症が迫ってきたら、「危険な脅威から、生活やいのちを守ることが」第一になるのと同じです。《それは、主の恵みを損う反キリストから信仰を守る戦い(4-8)》
彼はまず、これまでもたらされた神の審きを思い出させました。(1)神は出エジプトにおいて、荒野で「信じなかった者たちを滅ぼされ」ました。(2)神は、ご自身に逆らった御使い(=悪霊)たちを「暗やみの下に閉じ込め」ました。(3)そしてソドムやゴモラなど肉欲を追い求めた人々を、逆らった御使いと同じように永遠の火の中に入れました。神のさばきは明らかなのに、偽教師たちはキリストに反逆しながら恐れようともせず、主の宮である教会をくつがえそうと忍び込んできました。彼らは、自分の体を不品行によって汚し、主や主が立てた指導者を軽視して指導に従わず、そして神の悪口を言って止めようとしなかったのです。主は正しくさばかれます。私たちが戦うべきことは、聖書に基いた信仰を守り、一致して神に守っていただき、祝福を証しすること、そして誤った教えを持ち込もうとする人から離れつつ、その人たちのためにも祈ることです。今も、形を変えて、キリストに逆う教えが広がり機会を狙っています。脅かしがあっても、キリストとキリストの福音に留まり続けましょう(詩篇118:8-9)。