2026年1月25日・・・神を喜んでいるか
嶋田靖史
それだけではなく、私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を喜んでいます。キリストによって、今や、私たちは和解させていただいたのです。
ローマ5:11(1-11)
恵みの中に生かされている私達が神を喜ぶ信仰とは何か、を改めて考えたいと思います。
《キリストによる神との平和》
人間は生まれながらにして罪を持っています。神は義なる方、正しい方であるので人間の罪をそのままにして認める方ではありません。キリストの血によって義と認められ神と和解させて頂きました。ロイドジョンズは「神の義と神の愛が十字架という場所で完全に調和した」と語りました。つまり、人の罪に対する神の怒りと、罪人を救いたいと思う神の愛、という正反対のものが同時に十字架で表れました。「キリストによって」という言葉が11節までに5回出てきます。キリストによって与えられた特権を喜んでいる、とパウロは語ります。「今立っているこの恵み」の「今」とは、パウロの時代のことだけでなく、現在進行形で今も恵みの中に立つことができます。血と死によって救われ、キリストによって神との平和が私達に与えられました。
《希望は失望に終わることはない》
苦難に遭ったとしたら、主に信頼して苦難を耐え忍ぶしかありません。忍耐が必要です。忍耐は謙遜を生みます。無力さは自分の高慢を砕き、謙遜を生みます。その謙遜が品性を生み出すのです。神の前での無力さ、何も誇れるものがない自分を見出し、それが品性となります。この苦難は神が自分の為に与えられたものであることを知るからです。この品性が希望を生み出すのです。神は我が子のように私達を訓練されています(ヘブル12章)。謙遜と品性によって、救いの福音が理解できます。失敗に終わることのない希望とは、聖霊によって神の愛が注がれており、救いに引き上げてくださるという希望のことです。老いるという苦難は例外なく全ての人に待ち受けています。しかし、クリスチャンは自分の人生を神がいかに祝福して下さったかを覚えることができます。肉体は衰えますが、霊的に衰えることはありません。天国への凱旋は希望が実現する勝利の道です。
《神を喜びとする理由》
未信者であった時の私達を、弱く、不敬虔で、罪人であり、神の敵であったと言っています。そのような者の為にキリストは死んで下さった。愛が無ければできることではありません。神の愛という抽象的な概念が十字架で示されたのです。神が人を愛された理由は、神の中にあります。神ご自身のご性質が愛だからです(1ヨハネ4章)。愛のゆえに、神の国の民として招いて下さいました。私達は神の国の完成という壮大なみ心の中に生かされています。私達は神を喜んでいるでしょうか。喜ぶ理由とは、キリストによって神との平和が造られたから。聖霊を通して神の愛が注がれているから。天国に行ける希望が与えられ、完全な復活の身体が与えられるから、です。苦難さえも喜び、誇りとしましょう。喜べないことを喜ぶ。これがクリスチャンの特権です。喜んで人生を歩んでいる姿は、周りへの証ともなります。