2026年2月22日・・・御子の救いの内に入れられた聖徒
今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。コロサイ1:22(21-23a)記者パウロは続いて、御子キリストが偉大な権威をもって「どのように救ってくださったか」を伝えます。この箇所から、私たちに与えられたキリストの救いのすばらしさを確かめましょう。
《救われる前、私たちは神から離れ、敵意と悪い行いの中にありました(21)》
すべての人の御子を信じて救われる前の状態はこうでした。神はすべてに満ち、神から逃れることはできません。神は良い者にも悪い者にも、必要な恵みを与えておられます(マタイ5:45)。しかし救いを受ける前、人は神に対して「心や霊が離れ」、共に歩むことができません。徹底的な悪意や反逆でなくても、自分の意に沿わない時に敵意が現われます。神はすべての人に良心を与えましたが、良心に反したことばや行いをしたことがない人はいません。完全に考え生きた人と言える人は、キリストだけです(ヨハネ8:46)。この正しい方が、私たちの罪の身代りになるために来てくださいました(ヨハネ3:17)。《御子の死により神と和解させてくださいました(22)》
御子は人となって来られ、私たちのために死なれ、神と和解させてくださいました(22a)。旧約時代、罪の赦しのためにきよい動物が犠牲とされたのは、御子の犠牲による完全な赦しを予表するためでした。家畜の犠牲は、神の約束により罪の赦しを与えても、罪をきよめることはできません。また罪ある人のいのちは、身代りになれません。そこで神は、きよい御子を人として生まれさせ、私たちの罪の赦しのための身代りとされました(ヘブル10:5)。罪の罰はただ死ぬだけでなく、罪に対する神の怒りを受けて苦しみ、神の前から断ち切られることが必要でした。それが罪の報いだからです。御子がもたらす罪の赦しは、罪の刑罰を除くだけでなく、ご自身と結びつけることで、罪に勝利させ、神との和解をもたらします。こうして信じた者は神と共に生き、神は私たちを聖め、完全な者として御前に立たせます(22b)。《揺るがない信仰の土台である御子に留まって築かれることが必要(23a)》
パウロはここで「ただし」と付け加えます。救われたら、自動的に(何もしないで)完成するわけではありません。信仰には、信じる心だけでなく、確かな土台が必要です。信仰は神の力に支えられる必要があり(1コリント2:2,5)、信仰の確かな土台は、御子キリストだけです(1コリント3:10-11)。そして信仰に留まることが大切です。御子は、ご自身に留まることが必要だと教えられました(ヨハネ15:4)。また子どもの成長と同じで、成長・完成をめざすのです。熱意を傾けて、信仰に、徳、知識、自制、忍耐、敬虔、兄弟愛、愛を加えてゆきましょう(2ペテロ1:5-7)。
キリストを信じた私たちは、御子の十字架と復活の救いの内に入れられ、これを土台として立ち続けます。キリストの体である教会に信仰をもって留まり、完成して神の前に立ちます。この信仰に立って、共に完成をめざしましょう。