2018年2月11日・・・恵みのゆえに信仰によって救われた
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。エペソ2:8(8-10)
人がどのように救われたかについて、この有名なみことばは、明確に語っています。共に確信しましょう。
《神の恵みの故に、信仰を通して救われた(:8)》
人は神の愛と配慮のもとで造られ育まれていたのに、自分勝手に神に逆らい、神を無視して生きていました。しかし御子イエス様はすべての人の身代りに死なれました。私たち人類が神に敵対していた時にです(ローマ5:6-8)。そして主は全ての人の救いを願っておられます。しかし自動的に救われるわけではありません。救いは、イエス・キリストを救い主と信じる信仰を通してもたらされます。愛される価値のない者を愛して下さる。赦される価値がないのに赦して下さる。救われる価値がないのに救って下さる・・・この約束を、すなおにそのまま受け入れる、それが「信仰」です。人の間でも、差し出されたプレゼントは感謝して受け取ることによって自分のものとなります。神のいのちの犠牲によって差し出された神の救いのプレゼントを頂くのも、同じです。
《救いは、人の行ないによりません(:9)》
罪の赦しと永遠のいのちを得るために必要な代価は、神が私たちのために払って下さいました。人の努力やわざは、救いを受けるのに貢献できません。救いは「自分自身から出たことではない」のです(8)。行ないや努力によって、神の前に正しくなる事は決してできません。戒めを守れずキリストを拒んでしまったイスラエルの歴史が証明しています。また人がいくら努力しても、自分の罪を償うことはできません「罪から来る報酬は死です」(ロマ6:23)。私たちは罪が赦されるために何度死ねば良いでしょう。そして、一度死ねば、もう生きる事はできません。神は救われる価値と力のない者を救って下さいました。誇れるのは、主だけ。自分ではありません。(ガラ6:14)。
《神が救いに必要なすべてを備えて下さいました(:10)》
救われた時、私たちは「神の作品」として造られました。それはキリストによって「再び創造された」という意味です。罪によって損われた器を神はもう一度造り直してくださいました(2コリ5:17)。以前の面影は残しつつ、すべてを生かして造り変えてくださったのです。神の作品に価値のないものはなく、無駄なものは一つもありません。また神は、私たちが良い行いに歩むように造られました。かつては神に喜ばれないもののために自分を用いていましたが、今は良い・健全な働きのために用いられるのです。神は「良い行ないをもあらかじめ備えてくださ」いました。神が備えてくださったからこそ、私たちは良い行ない歩み、なし遂げることができます。神の備えられた道は、私たちの想像を超えてすばらしいものです。人の思慮のとどく範囲は限られています。しかし主は、私たちの歩むすべての道において共にいて守り導かれます。私たちの思い浮かばない程の最善を神は備えて下さるのです。だから疑わずに、主の恵みのもとに飛び込み、主に信頼して歩みましょう。